SSブログ

邪鬼 [見仏]

 私は、仏教芸術の単調さをやぶるものは、むしろ邪鬼にあるのではないかと思う。
邪鬼の「痛テエヨォ、痛テエヨォ」という声により、本堂にただよう、神秘的で厳粛で、単調な静けさが破られ、そこから芸術に欠くことの出来ない自由とユーモアとが出現するのである。しかめ面の詩人、島崎藤村でさえ、「ユーモアのない一日は耐えがたい」といったそうであるが、われわれが、仏教芸術における唯一のユーモアの源である邪鬼を所有しなかったら、われわれは仏教芸術の単調さに耐えがたかったかもしれない。
邪鬼をふみつける四天王にも、この邪鬼の自由とユーモアがいくらか伝染しているのである。

続 仏像―心とかたち
望月 信成 (著)
NHK出版 (1965/10)
P131



DSC_5383 (Small).JPG滝ノ観音寺


タグ:望月 信成
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント