元禄以前と元禄以後 [雑学]
江戸時代は、実は、二つの時代で出来ている。関ヶ原合戦からの五十年が一つ。それ以後の江戸時代がもう一つである。
関ヶ原以後の五十年は戦国以来の気風を残しており、光政(住人注;名君とされている岡山の池田光政)は、その時代の人であった。ところが、綱政(住人注;池田光政の息子で、土芥寇讎記に「生得、魯にして、分別あたわず・・・」(要するにバカ殿)、と記されている)の時代、元禄以後になると、人間の気質も違ってきた。
ようするに、世の中が太平になったといってよい。大名は、公家のように弱々しくなってゆき、「源氏物語」の世界に耽溺するようになった。
~中略~
ともあれ、関ヶ原から五十年たった、この時代、戦国をひきずる無骨者の父親と、公家風の雅に憧れる息子の葛藤は、多かれ少なかれ、どこの大名家でもみられた。池田家では、それが激しくあらわれたに過ぎない。
池田家では、その後、まっしぐらに、殿様たちが公家風になっていく。政治はやらず、1日中、和歌を詠み大和絵ばかり描いているような、そういう藩主がつづく。かつては、罪人で、刀の試し斬りをするのを楽しんでいた池田の殿様が、血を穢れとして、忌み嫌うようになる。そういう劇的な変化がおきた。
殿様の通信簿
磯田 道史 (著)
朝日新聞社 (2006/06)
P78
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