聖武天皇 [雑学]
聖武天皇というひとは、われわれに東大寺と大仏(鋳造物としての大仏が現存のものではないが)を遺したひとである。
奈良朝三代目のこの天皇はその後の日本の天皇からみるといかにも大者にふさわしい専制権をもち、即位した早々は累代つづいた律令体制の生産力が充実して、国庫が富んでいた。
この富を一代で傾けるのである。しきりに土木を興し、都を奈良だけで満足せず、生涯で何度も変えた。~中略~
「唐の長安というのは大変なにぎわいです」
と、唐から帰ってきた僧玄昉や吉備真備などからその様子をきき、唐文明のきらびやかさに眩惑されるところがあったのだろう。~中略~
「自分もゆきたい」
と、少年期にむずかったことがあるにちがいない。行くことができないために、その一代で二度も遣唐使を出すということをしたのであろう。かれは十四歳で皇太子になり、十年後天皇になった。聡明であったことはかれが「華厳経」という世界構造を説いた経典の理解が深かったことでもわかるし、また感受性がゆたかだったことは、その華厳的世界を東大寺という華麗な伽藍と毘盧遮那仏(大仏)をつくることによって形として表現してみたいと思ったことでもわかるし、やや神経質な性格だったことは、いらだつように遷都をしつづけたことでもわかる。
自分は仏法の奴(やつこ)であると宣言した聖武は本気で仏教を信じた。信じただけでなく、外護者になり、さかんに造寺造仏をしたが、そのことにみが政治だと思っていた。豪儀で無邪気な古代的帝王の最後のひとが、聖武といえるかもしれない。
街道をゆく (7)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1979/01)
P36
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