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日米文化交渉史 [国際社会]

 さきに引用した「日米文化交渉史」も十分に酵熟した古本といわねばならない。その編纂は米軍の占領期間にくわだてられ、占領がおわったあと、刊行のために半官半民ともいうべき協会がつくられ、昭和三十一年、第一巻が出た。「月報」の神川彦松氏(編纂委員)の文章を読むと、米国側の協力もあったらしい。
 それはともかく第一巻の「はしがき」はごくみじかい文章だが、日米関係の原形を的確に概括している。こういう場合の的確さというものは、筆者の意図とはかかわりなく、歴史の悲しみを読む者に感じさせる。以下、引用する。
 ペリー遠征このかた世紀間の日米関係は、これをアメリカ側から見ると、ミシシッピー艦(注・ペリーの搭乗艦)と、ミズーリ艦(注・日本の降伏文書調印につかわれた艦)という二つのMによって象徴されるところの光栄から光栄へ進む偉大な記録である。
 独立を得て僅かに七十年で、当時なお世界列強中の尻尾(しっぽ)にくっ付いていたアメリカは、このわずか百年の間に躍進をつづけて、世界の先頭に立つ超強国となった。このような急速な一国の膨張・発展というものは、まことに世界史上、空前であるといって過言でないであろう。
転じて、同書は日本側について語る。
 ところが、この同じ日米関係を、日本側から見ると、うってかわって開国から亡国への歴史である。
まことに幕末以来、昭和三十一の時期までの日本は、この二行に尽きる。
さらに筆者はつづける。  (日本)は忽(たちま)ちにして興って、一時、よく世界強国の列に伍(ご)したが、やがて忽ちにして破滅したところの光栄(グローリー)から墳墓(グレーブ)への歴史である。
以下は、補足された述懐というべきものか。
 広い太平洋を隔てて相隣し、一方は西洋文明を代表し、他方は東洋文明を代表した日米両国のこの対照の著しい百年の歴史は、世界史上でも、いろいろな意味で最も興味ある一節であり、人類に多大の教訓を与えるものであると思われる。
だから編纂した、というのが同書の趣旨である。

アメリカ素描
司馬 遼太郎(著)
新潮社; 改版 (1989/4/25)
P111


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