稽古は強かれ、情識はなかれ [学問]
いかなるをかしき為手なりとも、良き所ありと見ば、上手もこれを学ぶべし。
これ、第一の手立てなり。もし、よき所見たりとも、我より下手をば似すまじきと思う情識あらば、そのこころに繫縛(けばく)せられて、我が悪き所をも、いかさま知るまじきなり。
これすなはち、極めぬ心なるべし。
~中略~
下手も、上手の悪き所もし見えば、「上手だにも悪きところあり。いはんや初心の我なれば、さこそ悪き所多かるらめ」と思いて、これを恐れて、人にも尋ね、工夫をいたさば、いよいよ稽古になりて、能は早く上がるべし。
~中略~
上手は下手の手本、下手は上手の手本なり
どんな変な役者であっても、すばらしいところがあると見たら、上手であってもこれを学ぶべきである。
これが能と工夫をきわめる一番大切な方法である。
もしも下手の長所を目の当たりにしても、自分より下手な役者の芸を似せまいと思ういさかいの心があったならば、その心に縛られて、自分の欠点をも、きっと知ることはあるまい。
世阿弥 (著), 竹本 幹夫 (翻訳)
風姿花伝・三道 現代語訳付き
角川学芸出版 (2009/9/25)
P118
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