事実より空気 [処世]
戦況は、わずかに薩長に優勢であった。
が、勝利とはいえない。ところがほどなく薩摩藩の騎馬伝令が御所にかけこみ、
「お味方の勝利」
ということばをわめきまわったために、御所の空気が一変した。
~中略~
「勝てば官軍」
ということばどおり、私戦が、このきわめて不確かな戦勝の報によって公戦になり、薩長は官軍になった。
翌四日の戦闘は、徳川方の優勢のうちに日没をむかえた。さらに五日早暁、薩長は、自分たちが官軍であるという証拠をみせるために錦旗を淀
川の北岸にかかげた。
「錦旗がでた」
という報は、すぐ大坂に達した。六日夜、徳川慶喜が大阪城を脱出したのは主としてこのためであった。慶喜がやぶれたのは、戦闘よりも政略であったであろう。
花神 (下巻)
司馬 遼太郎 (著)
新潮社; 改版 (1976/08)
P231
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