SSブログ

生きる意味 [人生]

そこ(住人注;人生になにも期待できないと思い、生きる意味がないと思ったとき)で大切だったのは、カントにならっていうと「コペルニクス的」ともいえる転換を遂げることでした。
それはものごとの考え方を一八〇度転換することです。

それでも人生にイエスと言う
V.E. フランクル (著), 山田 邦男 (翻訳), 松田 美佳 (翻訳)
春秋社 (1993/12/25)
P26

それでも人生にイエスと言う

それでも人生にイエスと言う

  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2014/12/25
  • メディア: Kindle版

 

IMG_0035 (Small).JPG文殊仙寺

P27
 ここでもうお分かりいただけたでしょう。私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから過っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。
人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです。私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、「人生の問い」に答えなければならない、答えを出さなければならない存在なのです。生きること自体、問われていることにほかなりません。私たちが生きていくことは答えることにほかかなりません。
そしてそれは、生きていることに責任を担うことです。

P29
 私たちは、人生が出した問いに答えることによって、その瞬間の意味を実現することができます。ところで、人生が私たちに出す問いは、たんに、そのときどきに応じてちがったものになるだけではありません。その人に応じてもまたちがったものになるのです。
人生が出す問いは、瞬間瞬間、その人その人によって、まったくちがっています。

P37
 私たちはさまざまなやりかたで、人生の意味をあるもにできます。活動することによって、また愛することによって、そして最後に苦悩することによってです。
苦悩することによってというのは、たとえ、さまざまな人生の可能性が制約を受け、行動と愛によって価値を実現できなくなっても、そうした制約に対してどのような態度をとり、どうふるまうか、そうした制約をうけた苦悩をどう引き受けるか、こうしたすべての点で、価値を実現することがまだできるからです。
~中略~
 ですから、困難に対してどのような態度をとるかということのうちに、その人本来のものが現われ、また、意味のある人生が実現されるのです。

P39
私たちは、どんな場合でも、自分の身に起こる運命を自分なりに形成することができます。「なにかを行なうこと、なにかに耐えることのどちらかで高められないような事態はない」とゲーテはいっています。それが可能なら運命を変える、それが不可避なら進んで運命を引き受ける、そのどちらかなのです。どちらかの場合でも、私たちは運命によって、不幸によって精神的に成長できます。

P43
人生はたえず、意味を実現する何らかの可能性を提供しています。ですから、どんなときでも、生きる意味があるかどうかは、その人の自由選択にゆだねられています。
人生は、「最後の息を引き取るまで」意味のあるものに形づくることができるといってもいいでしょう。 人間は、息をしているうちはそもそもまだ意識があるうちは、人生が出す問いにそのつど答えていくという責任をになっているのです。それは、人間存在とは意識存在、責任存在にほかならない、という人間存在の重要な根本事実を思い出せば、なんの不思議もないことですが。

P44
 そうしますと、確実にわかることがあります。つまり、あるひとつのことは、確実に無意味であり、それにはまったく意味がないということです。
そのひとつのことというのは、命を捨てることです。というわけで、自殺はけっして、なんらかの問題に対する答えではないのです。自殺しても、問題の解決にはならないのです。

P57
 生きるとは、問われていること、答えること
 ―自分自身の人生に責任をもつことである。
ですから、生はいまや、与えられたもの(ゲゲーベンハイト)ではなく、課せられたもの(アウフゲゲーベンハイト)であるように思われます。生きることはいつでも課せられた仕事なのです。このことだけからも、いきることは、困難になればなるほど、意味あるものになる可能性があるということが明らかです。
~中略~
ここで明らかになった見解は、もしかすると、ヘッベルの言葉でもっとも適切に表現できるかもしれません。彼はいいます。
「人生それ自体がなにかであるのではなく、 人生はなにかをする機会である!」

 

それでも人生にイエスと言う

それでも人生にイエスと言う

  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2014/12/25
  • メディア: Kindle版

 

 

 

人生のいきがいをつきつめてゆくと、結局、「人間らしく、よく生きる」ことになろうか。そうだとすれば、健康も、財産も、地位や名声、さらには仕事そのものも、生きるための目的であるというより、むしろ手段ではなかろうか。このような手段が目的と見なされるところに、さまざまな悲劇が生まれることになる。

セルフコントロール―交流分析の実際
池見 酉次郎 (著), 杉田 峰康 (著)
創元社; 新版 (1998/11)
P236

 

セルフコントロール 交流分析の実際

セルフコントロール 交流分析の実際

  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 2015/03/26
  • メディア: Kindle版

 

 

 

薔薇はなぜという理由もなく咲いている。
薔薇はただ咲くべく咲いている。薔薇は自分自身を気にしない。
人が見ているかどうかも問題にしない。
[シレジウス] ドイツの詩人 | 1624-1677

人生はワンチャンス! ―「仕事」も「遊び」も楽しくなる65の方法
水野敬也 (著), 長沼直樹 (著)
文響社 (2012/12/11)
30

 

人生はワンチャンス!- 「仕事」も「遊び」も楽しくなる65の方法 人生は~シリーズ

人生はワンチャンス!- 「仕事」も「遊び」も楽しくなる65の方法 人生は~シリーズ

  • 出版社/メーカー: ミズノオフィス
  • 発売日: 2013/07/05
  • メディア: Kindle版

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント