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村人が文字を持つということ [言葉]

 これまで回顧してきた年よりたちは文字を知らないか、知っていても文字にたよることの少ない人たちばかりであった。
文字を知らない者と文字を知る者との間にはあきらかに大きな差が見られた。
文字を知らない人たちの伝承は多くの場合耳から聞いた事をそのまま覚え、これを伝承しようとした。よほどの作為のない限り、内容を変更しようとする意志はすくなく、かりにそういうものがある人は伝承者にはならなかったものである。つまり伝承者として適してなかったから、人もそれをきいて信じまた伝えようとする意志はとぼしかった。その話をしている事が真実であっても古くから伝えられていることと、その人の話が大きくくいちがっているときには、村人はそれを信じようとはしなかったものである。そして信じられるもののみが伝承せられていく。
 しかし文字をよみ文字にしたしむものは、耳できいただけでなく、文字でよんだ知識が伝承の中へ混入していき、口頭のみの伝承の訂正が加えられるものである。
が世間は、「あの人の話は書物で読んだのだからたしかだ」と信ずる傾向がある。しかし、それは今まである村の伝承とはくい違いがあり、村全般のものになることはすくなく、その人が文字で表現しないかぎりは、その人から直接きいたか、または間接にきいた者だけが信じ、一般の村人はその人をただえらい人としてのみ記憶している。
 文字を持つ人々は、文字を通じて外部からの刺戟にきわめて敏感であった。村人として生きつつ、外の世界がたえず気になり、またその歯車に自己の生活をあわせていこうとする気持ちがつよかった。

忘れられた日本人
宮本常一 (著)
岩波書店 (1984/5/16)
P260

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P303
 民間のすぐれた伝承者が文字をもってくると、こうして単なる古いことを伝承して、これを後世に伝えようとするだけでなく、自分たちの生活をよりよくしようとする努力が、人一倍つよくなるのが共通した現象であり、その中には農民としての素朴でエネルギッシュな明るさが生きている。
そうしてこういう人たちを中軸として戦争以前の村は前進していったのである。


タグ:宮本 常一
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