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資本を作ろう [ものの見方、考え方]

総資財には直接の消費にあてられる部分とそうでない部分とがあり、人がそれから収入を期待する後者は資本とよばれる。

国富論 (1)
アダム・スミス (著), 大河内 一男 (翻訳)
中央公論新社 (1978/4/10)
P423




興福寺 (32).JPG興福寺

P423
 人が所有する資財で、数日または数週間その人間の生活を維持するにすぎないような場合には、かれはその資財から収入を得ようなどとは考えも及ばない。かれは、できるだけ節約しながらそれを消費し、またそれが消費しつくされていまうまでに、なにかそのかわりにあるものを自分の労働によって獲得しようと努力する。
この場合、かれの収入は、もっぱらかれの労働から得られる。これが、すべての国における大多数の労働貧民の状態なのである。

P519
 あらゆる国の土地と労働の年々の生産物の全体は、疑いもなく結局は、その国民の消費を満たすためのものであり、また、国民に収入を与えるためのものであるが、それがまず最初に土地または生産的労働者の手から出てきたときには、自然に二つの部分に分かれる。
その一つは、それはしばしば最大の部分であるが、まず第一に資本を回収するためのものである。すなわち、さきに資本のなかから引きあげられた食料品、材料、完成品を更新するためものである。
また、もう一つの部分は、この資本の所有者にたいいしてかれの資本(ストック)の利潤というかたちで収入となるか、または他の人に土地の地代というかたたちで収入となるものである。




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