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文明と文化 [雑学]

 人間は群れてしか生存できない。その集団をささえているものが、文明と文化である。いずれもくらしを秩序づけ、かつ安らがせている。
 ここで、定義を設けておきたい。文明は「たれも参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機能的なもの」をさすのに対し、文化はむしろ不合理なものであり、特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊なもので、他に及ぼしがたい。つまり普遍的でない。
 たとえば青信号で人や車は進み、赤で停止する。このとりきめは世界に及ぼしうるし、げんに及んでもいる。普遍的という意味で交通信号は文明である。
逆に文化とは、日本でいうと、婦人がふすまをあけるとき、両ひざをつき、両手であけるようなものである。立ってあけてもいい、という合理主義はここでは、成立しえない。不合理さこそ文化の発行物質なのである。 同時に文化であるがために美しく感じられ、その美しさが来客に秩序についての安堵感をあたえ、自分自身にも、魚巣にすむ魚のように安堵感をもたらす。  

アメリカ素描
司馬 遼太郎(著)
新潮社; 改版 (1989/4/25)
P17

アメリカ素描 (新潮文庫)

アメリカ素描 (新潮文庫)

  • 作者: 遼太郎, 司馬
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1989/04/25
  • メディア: 文庫

 DSC_3942 (Small).JPG関門海峡

P25
 民族というものに、大した優劣があるわけではない。 ―文明は、多民族地帯におこりやすい。
 と、まず考えねばならない。もっとも、もう一つの条件が具(そな)わっていなければならない。
文明が興る大地が、それら多様な諸民族を収容して食わせうるだけの農業的なゆたかさをもっていなければならない。
 その大地が食えるからこそ異文化の者たちがやってくるのである。そのるつぼの中で、多様な文化群がすれあい、たがいに他の長所をとり入れ、たがいに特殊性という圭角(かど)を磨滅させ、ついにはたれでも参加できるという普遍性(つまり文明)ができあがる。


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