自警 [学問]
一、人をあざむくために学問すべからず。
一、人とあらそうために学問すべからず。
一、人をそしるために学問すべからず。
一、人を馬鹿にするために学問すべからず。
一、人の邪魔をするために学問すべからず。
一、人に自慢するために学問すべからず。
一、名を売るために学問すべからず。
一、利をむさぼるために学問すべからず。
佐藤 一斎 著
岬龍 一郎 編訳
現代語抄訳 言志四録
PHP研究所(2005/5/26)
P208
自分の我欲を満たすために努力するということだったら、これは結局、我欲と同じことです。本当の向上心というのはそういうことではなくて、神に近づくための向上心ということですね。これは我欲と違います。そこには我欲もなければ、競争もないわけです。
葉室 頼昭 (著)
神道 見えないものの力
春秋社 (1999/11)
P183
[第百三十段]前略~
もし人よりすぐれようと思うならば、学問をして、学才が人にまさりたいと願うがよい。
何のために道を学ぶのかと言えば、それは、自分の長所を自慢せず、仲間と争ってはならぬということを、承知せんがためである。高い官職をも辞退し、利益をも捨てることができるのは、ひとえに学問の力である。
徒然草―現代語訳
吉田 兼好 (著), 川瀬 一馬
講談社 (1971/12)
P250
P225
少しでも学問でもすると、すぐにこれを出したくなるのが多数の通弊である。昔の儒者は「学問は実に臭いものである。 ちょうど大根を煮ると同じく、煮れば煮るほど臭くなるが、全く煮尽くせば臭みがなくなる」と言うた者がある。
禅をやる人を見るに、なまじいにやった人はとかく豪傑ぶる。
脱俗とか何とか言うて、人に無礼の振る舞いをなし、大功は細瑾(さいきん)を顧みぬといって、人に対し不快の念を起こさせるようなことをして得々としている。
P257
昔の諺に「能ある鷹は爪を隠す」とある。
知力ある者は、いたずらにこれをほかに現わすことがない。これを貯蓄し保存し、折をみてこれを利用する。
ある人の言に「金言とは機会を逸せずして発したる言なり」と言うたごとく、いかなる名説でも、機会を逸して述べたものは、愚人の放言たるに過ぎぬ。
俗に「下司の後智慧」というが、下司も聖人君子と同じ智恵があっても、これを出す時が後れる。智慧を出す機を失すれば君主も下司となる。その時を失わなければ、下司もまた君子となるであろう。
修養
新渡戸 稲造 (著)
たちばな出版 (2002/07)
にせの学問は博学のほまれを専(もっぱら)とし、まされる人をねたみおのれが名をたかくせんとのみ、高満(高満)の心をまなことし、孝行にも忠節にも心がけず、只(ただ)ひたすら記誦詞章(きしょうししょう)の芸ばかりをつとめる故に、おおくするほど心だて行儀あしくなれり。(下巻之本)
中江藤樹 人生百訓
中江 彰 (著)
致知出版社 (2007/6/1)
P50
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