博多 [雑学]
もともとあの地は、博多という名だった。八世紀にはもう博多と呼ばれていたそうだ。
ところが、一六〇〇年の関ヶ原の戦いに軍功のあった黒田長政は、筑前五十二万石を与えられ、ここに新しく城(福岡城)を築いたので、城下の名前が福岡ということになった。
その福岡の名は、黒田家が三代をかけて家を再興した備前(岡山県)福岡からとっている。
自分たちの思い出の地の名を、新領地の街につけてしまったのだ。それまでの名を無視して。
どうころんでも社会科
清水 義範 (著),西原 理恵子 (イラスト)
講談社 (1998/11)
P188
P205
福岡から釜山までの距離は、福岡から広島までの距離にほぼ等しい。あっちからどんどん人が遊びに来て何の不思議もないのである。
~中略~
遣唐使や朱印船貿易の時代から、博多は東シナ海、南シナ海を通じてアジアとつながっていたのだが、今もなおその性質は続いているのだ。あそこはアジアへの表玄関なのである。
~中略~
つまり、九州は、日本の端っこなのだ。そこに住めば、日本の真ん中あたりに住むよりは、近隣の国との関係が気になり、こっちを守ろう、という気にもなるのではではないか。
つまり、元寇の時の土塁だ。
私は福岡=博多へ行って、そういう国の輪郭線を見たような気がするのである。
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