正義 [哲学]
正義というのは、人間が人間社会を維持しようとして生みだしたもっとも偉大な虚構といえるかもしれない。
たしかに自然と現実から見れば、虚構に過ぎない。が、その虚構なしに人間はその社会を維持できないという強迫観念をもっている。
花神 (下巻)
司馬 遼太郎 (著)
新潮社; 改版 (1976/08)
P216
聖書における正義の観念とは何か。それは少数民族が平等に遇せられることでもない。
裁判で冤罪が放置されるのを防ぐということでもない。正義は人知れず、人間が神の「道具」として、神の意志のために働ける関係を言うのである。
その神と人間との「折り目正しい関係」だけが正義である。したがって正義は人間社会の中で、他者の目を意識した水平間隔で見えてくるものせはない。
それは神と人との間だけに存在する、垂直的な関係なのである。
曾野 綾子 (著)
河出書房新社 (2013/1/9)
P52
アメリカでは有能な弁護士を雇う資金力があれば、そんな犯罪でも有利な判決に持っていけるといわれる。つまり、ある意味、お金で正義が買えるともいえる。インドやインドネシア、ロシアに行けば、いまだに交通違反のもみ消しをするときや、ビザの取得等の官僚の仕事を有利にするときなど、チップのように賄賂を要求される。
確かに日本はここまでひどくはない。しかし、正義は常にまかり通るわけではない。もちろん悪を奨励しているわけではないが、最後は正義が常に勝つというナイーブな考えも奨励しない。
洋の東西を問わず、スーパーヒーローがフィクションの世界であれだけ求められるのは、現実にそういう「スカッとする」ものがないことの裏返しだ。また、正義は人の数ほどある。その正義を完璧に数値化して公平に判断するのは不可能だ。人生は不条理だと思ったほうがいい。
そもそも”条理”は人間が考えた勝手な幻想ともいえる。あなたの思う通りに世の中はできていないのだ。神や仏がいるかどうかはわからないが、そういう絶対的な存在が常に条理にかなった鉄槌を下してくれるわけではなさそうだ。
世の不条理を受け入れ、まかり通らないのを百も承知で正義とともに殉じる覚悟なら、それはそれでいい。しかし、そこまでの覚悟がないなら、善悪を最上位において、正義感を世の中にむやみやたらに要求することは避けたほうがいい。正義感から他者と無駄な諍いをすることはもってのほかだ。なぜなら、相手が勝つ場合が結構あるからだ。
頭に来てもアホとは戦うな! 人間関係を思い通りにし、最高のパフォーマンスを実現する方法
田村耕太郎 (著)
朝日新聞出版 (2014/7/8)
P21
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