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決断力 [ものの見方、考え方]

 自分には勇気が欠けていると告白する幹部は、ほとんどいない。にもかかわらず、勇気を欠く証拠はいくらでも指摘できる。
   決定が常に遅れがちなことは、その第一の証拠である。もし早く決定していれば得られたであろう利益を損失だと心得たがらない。ばく大な機会損失に気づかない。時間が大切な経営要素であることを忘れている。
~中略~
 意思決定は多数決ではない。多数の意見は聞くが、決めるのは一人である。
ドラッガーは「勇者は一度しか死なないが、臆病者は千回も見苦しい死をとげる」といっている。

経営の行動指針―土光語録
土光 敏夫 (著), 本郷 孝信 (編集)
産能大出版部; 新訂版 (2009/10/15)
P58

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「手術の最後に、どこかやり直すべきところが見つかったとき、助手に意見を求めても無駄だ。彼らは疲れているから、そんなことはない、大丈夫だと答えることが多い。聞いてもただ惑わされるだけだ。自分で考えて、自分で決めるんだ」
 僕はこの教えを肝に銘じている。自分が納得できないことがはっきりしていたら、僕はあまり周りに意見を求めることはしない。すぐに決断をして、必ずやり直す。しつこく「パーフェクト」を目指す。それが執刀医の責任だと思っている。
~中略~
外科の手術にもお互いの信頼は欠かせない。しかし執刀医が手術中に決断を他人に任せることはできない。確かに執刀中でもほかの医師に意見を聞くことはある。しかし最終的に、決断を下すのはチームリーダーである執刀医だ。
手術チームに民主主義はなじまない。多数決では決められないのである。

「NO」から始めない生き方~先端医療で働く外科医の発想
加藤 友朗 (著)
ホーム社 (2013/1/25)
P154

 アメリカでは、ちゃんとしたホテルのレストランは大人の社交場です。男の子がそこに連れて来てもらえるのは、前項でも触れたとおり、自分で蝶ネクタイを締めることができる年齢になってから、というのが一つの目安。
~中略~
 さて、レストランのほうも心得たもので、そんなときは子どものまえにも、ちゃんとメニューをおいて注文を取りにいきます。
「ご注文はお決まりですか?」
「僕まだ決まらないよ。パパとママのほうから聞いて」
「承知致しました。ではお二人はお決まりでしょうか」
こんな感じで進んで行きます。親たちも子どもが自分で決めるのを辛抱強く待っています。
そして「僕、このサーロインステーキにする。これお願いします」とウェイターに注文するのを待って、初めてアドバイスをするのです。
「そのステーキはかなり大きいと思うけど、食べきれるかな。家ではそんなに食べたことはないだろう」
 子どもはそれを受けて、ウェイターに、
「僕は、このステーキを食べたいんだ。半分にできませんか」
「もちろんです。問題ありません。ではハーフサイズで承りましょう」
「どうも有難う。楽しみだなあ」
 こんな調子で会話が続いていきます。
 子どもは自分でメニューを選び、自分でウェイターと交渉して、自分で決断する。
父親は、子どもの自立のためのレッスンをしている。~中略~
 日本の場合と比較すると、面白いほどの違いが見えてきます。
~中略~
 というのは、最近の若いビジネスパーソンを見ていると、自分で決める力が弱いなと感じることが多いからです。ホテルの現場では、中堅どころでも、その力が弱い人が多いように思います。
 指示されたことは、それなりにこなす力はあります。言われたらできるのだけれど、言われる前に一歩先を読んで、何かを提案する力が鍛えられていないと感じることが多いのです。

一流の男は「気働き」で決める
高野 登 (著)
かんき出版 (2014/4/23)
P166


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