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安曇 [雑学]

「安曇(あど)」
 という呼称で、このあたりの湖岸は古代では呼ばれていたらしい。この野を、湖西第一の川が浸(ひた)して湖に流れこんでいるが、川の名は安曇(あど)川という。
 安曇は、ふつうアズミとよむ。古代の種族名であることはよく知られている。
かつて滋賀県の地図をみていてこの湖岸に「安曇」という集落の名を発見したとき、
(琵琶湖にもこの連中が住んでいたのか)
 と、ひとには嗤(わら)われるかもしれないが、心が躍るおもいをしたことがある。安曇人はつねに海岸にいたし、信州の安曇野を除いて内陸には縁がないものだと思っていた。

街道をゆく (1)
司馬 遼太郎 (著)
朝日新聞社 (1978/10)
P22

街道をゆく1

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  • 作者: 司馬遼太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2014/08/07
  • メディア: Kindle版

 

 DSC_0933 (Small).JPG両子寺

~中略~
 古代中国では
「倭(日本とおもっていい)には、奴(な)(那・娜)の国というのがある」
といわれているが、この奴の種族が、安曇であることはほぼまちがいあるまい。
かれらは太古、北九州にいた。br> そのもっと古い根拠地については、
「筑前(福岡県)糟屋郡阿曇郷が、阿曇(安曇とおなじ)の故郷であろう」
と、本居宣長がその著「古事記伝」でのべたのが最初の指摘であろう。「古事記」にある安曇系(海人系)の神話をみてもごく普通になっとくできるところで、かれらが種族神としてまつっていた神が、宇佐、高良、磯賀(しか)という九州の大社に発展してゆくことは周知のとおりである。

 

街道をゆく1

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  • 作者: 司馬遼太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
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 ところで、海で漁をしてくらしている者の総称を、あま(漢字では海(あま)、海人、海部、海郎などと、気まぐれなほどいろんな文字をあてる)ともいうが、安曇(あずみ)(阿曇)ともいった。
諸国の浦々にすむすべての安曇たちの長官は、古代王朝の職掌名として、安曇連(あずみのむらじ)とか宿禰とかいった。
 「日本書紀」の「応神紀」のいうところでは、応神王朝はこの安曇の大首長を連(むらじ)の職につけて大阪湾沿岸の宮廷に常駐させ、そこからはるかに諸国の浦々にいる海部を統轄させていた。だとすれば手近の淡路の海人などはもっとも強い統制下におかれていたにちがいない。そのかわり王朝の旗本という栄光を感じていたかもしれず、げんに淡路の海人は古代天皇がひきいる海軍だったという証拠がいくつかある。おそらく日本最初の海軍だったであろう。

街道をゆく (7)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1979/01)
P123

 

街道をゆく 7 甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみちほか (朝日文庫)

街道をゆく 7 甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみちほか (朝日文庫)

  • 作者: 司馬 遼太郎
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  • 発売日: 2008/09/05
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