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和布刈神社 [門司]

 創立 仲哀天皇九年(二〇〇年)
 当社祭神彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)は、「海幸山幸」に由緒ある神で、兄神の隼人族始祖火蘭降尊(ほのすそりのみこと) より、隼人族のまつりごと即ち「毎歳除夜に和布を刈り神前に供える」ことや海神の潮干珠、潮満珠の秘伝を相承されたいわれがある。
 神宮皇后は角鹿(つねが)(敦賀)より豊浦に向かう海中にて、如意珠を得、後に海神の末裔阿曇磯良神(あずみいそらのかみ)より より、この両珠の秘伝を授かり、三韓に出兵した。
 皇后は帰国後、豊浦宮に殯宮(ひんきゅう)(葬らない前に祭りを行う宮殿)を長門に住吉神の荒魂を祭り、同時に速門(急潮奔騰するので)の故地に、阿曇磯良神の幸魂、奇魂に併せて皇神等を祭られた。
ときに仲哀天皇九年で、これが和布刈神社のはじまりという。

郷土門司の歴史
中山主膳 (著)
金山堂書店 (1988/06/01)
P34

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P37
 関門海峡に竜神思想がある。この海峡は昔から渦潮たぎり、岩礁の多い海の難所である。
~中略~
 昔人はその様子を、あたかも竜の昇天の姿と想像したかもしれない。
 また、航海の困難や天候の変化のため、船が難破すれば、自然への畏敬の念から竜神思想も生まれてくるであろう。
満干両珠の秘法というのは、住吉、妙見信仰にみる北辰尊星のもので、日月星の関係、季節風位、潮の満干等で航海するというような、古代航海術といた程の意で、自然の驚異を竜神と結びつけたのであろうことが想像できる。
 韓国・中国等文化のわが国への流入は、船によって行われた。海路は天候と潮流、海の浅深などに注意をはらい、風待ち・日和待ちをし、更に水先案内をつければ、古代の陸の困難な旅にくらべ、安全・迅速・快適・多量という交通の要件にそうわけである。
 関門海峡は、交通上・軍事上重要な要地である。
この地で、へいぜいは漁猟をしながら、水先案内もしていた氏族がいたということも想像できる。
この豪族を古代史では、海神族・海賊・海人族等といって、戦略上はもとより、文化の伝達者として、大きな役割を演じていた。
 この氏族が祖霊を祭り、後世には霊験あらたかな神とし、明神思想となる。


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