一滴の水でも生かして使え [倫理]
京都嵯峨の天竜寺管長を務められた滴水禅師の逸話を紹介しましょう。
禅師が修行僧のころの経験です。夏の暑い日でありました。
托鉢からもどられた和尚が縁側に腰を下ろしてわらじのひもを解いておられました。
若い雲水(修行僧)であった自分が井戸端にとんでいって、つめたい水をたらいに汲んできて和尚に差し出しました。
和尚が気持ちよさそうに足を洗い終わって自分の部屋へ向かわれたのを見て、使い終わったたらいの水を何気なく庭に捨てました。
そのとき、和尚が振り返って「ばか者、殺生するな!』と言って部屋に入っていかれたというのです。
一喝された雲水は、いくら考えても叱られた理由が分かりません。まだ修行が浅いからその意味を理解することができないのだと考えて、恐る恐る和尚の部屋を訪ねて、「先ほど、お叱りを受けましたが、どうしてもその理由がわかりません。
さぞ深いお考えがあってのことと思われますので、ぜひその訳を教えていただきたい」と申し上げたところ、
和尚は「足を洗った水を庭先に無造作に捨てたからだ。たとえ用がすんで捨てる水でも、植木にかけてやれば植木も喜び水をもう一度生かせるではないか。一滴の水でも生かして使え」
と諭されました。これを縁として「滴水」という名をつけてもらったというのです。
見真
龍谷総合学園 (著)
本願寺出版社; 第三刷版 (2003/03)
P18
タグ:滴水禅師
2021-05-31 07:56
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