芸は身を助ける [処世]
その間に日清戦争があり、日本は大勝を博し、台湾を領土にした。一しょに仕事をしていた仲間が台湾へいってみようではないかというので、妻子を郷里へかえし、台湾へわたる事にした。そうして門司から船にのった。乗客は台湾で一旗あげようというもので一ぱいであった。
そのころまで芸人たちは船賃はただであった。そのかわり船の中で芸を見せなければならなかった。
昔は遊芸の徒の放浪は実に多かった。それは船がすべてただ乗りできた上に、木賃宿もたいていはただでとめたからである。だからいたって気らくであって、いわゆる食いつめる事はなかったし、また多少の遊芸の心得があれば、食いつめたら芸人になればよかった。だから「芸は身を助ける」といわれた。
芸さえ知っておれば餓える事もおいてけぼりにされる事もなかった。台湾へわたる船の中でも、そうした芸人たちが歌ったりおどったり手妻(手品)をして見せてくれるので退屈どころか、いつキールンへついたかわからぬほどだった。
忘れられた日本人
宮本常一 (著)
岩波書店 (1984/5/16)
P234
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