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アイデンティティ危機に陥れる患者たち [医学]

心気症者は身体科では疎まれ、冷遇されることが多い。心気症では、自覚症状の強さと裏腹に他覚所見にまったく異常が見出せない。これはすなわち、身体科治療者が拠って立つ自らの診療体系に対する確信をぐらつかせ、治療者に不快な無力感を生み出すこととなる。
 治療者は、精神科・身体科を問わず、自らをアイデンティティ危機に陥れる患者たちとの遭遇に、どう対応してゆくべきか。当然のことながら、治療者の感情は大きく波打つだろう。

精神科医になる―患者を“わかる”ということ
熊木 徹夫 (著)
中央公論新社 (2004/05)
P80

DSC_4717 (Small).JPG求菩提山


 苦労したり努力したぶんだけ相手が喜び、あるいは望ましい結果がもたらされるとしたら、我々の仕事はまことに充実感に富んだ素敵な活動ということになるだろう。
 ところが実際には、逆恨みをする者もいればどんなに手厚く扱ってもらっても文句しか言えない者もいる。図々しい人間、恥知らずな人間、愚かな人間、心のねじ曲がった人間が世の中にはあふれている。
 そしてときには我々は、必ずしも相手の希望どおりに行動するわけにはいかない。相手の判断が不適切であったり、まったくの「こだわり」にもとづいているだけだったり、常識をまったくわきまえていなかったり・・・・・・。
 そうなると、たとえ相手の幸せを願っても、結果的には恨まれたり憎まれたりしてしまうことはいくらでもある。実際い、だからこそ我々は「げんなり」した気分にとらわれたり、自尊心を著しく傷つけられたり、天職を考えたりすることがしばしばあるわけである。
 しかもこうした「誠実に尽くしているのに、恨まれたり憎まれたりクレームをつけられる」といった事態は、その経緯や感情のすれちがいの要因をうまく他人に説明することがあんがいむずかしい。おまけに微妙なニュアンスが絡んでいることが多い。
むずかしいのにそれを一所懸命説明しているうちに、馬鹿らしさや虚しさや不全感がどんどん心に広がってきて、ついには「もう、どうでもいいや」「はいはい、私が悪うございました」と投げやりな気分になってしまうこととてあるだろう。
こちらが正しくとも、だから話がシンプルであるとは限らない。ましてや相手が「俺は患者だ、弱者なんだ!」と声高に主張するときには。

はじめての精神科―援助者必携
春日 武彦 (著)
医学書院; 第2版 (2011/12)
P142



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