鎌倉期の女性の理想像 [雑学]
江の島の弁天様と、鎌倉鶴ヶ丘の弁天様は裸なのである。
裸の仏は珍しい。ギリシャの彫刻はすべて裸体であるが、日本の仏様は衣服をまとっていられるのである。
しかし、ここではほとけは真裸、しかも裸の美女なのである。この裸の美女のほとけを作り出した意図は何であったか。江の島の弁天は源頼朝の命によって、文覚によって灌頂されたほとけ様だという。
源頼朝と文覚、それは、新しい武士の時代を作った英雄と怪僧である。そこに一つの新しい時代精神が現われているにちがいない。
江の島弁天様の見事な肉身はどうであろう。それはまがいもなく現実の女身の再現である。美のリアリズムとでもいうのか、利口そうな眼、ひきしまった口もと
、端麗なお顔、真っ白い肉づき豊かな体、この美人はもはや平安朝のなよなよとした美女ではない。それは何より、多産で健康で、官能的どのような荒武者すら満足させる肉身と、同時に、すべての家政を自らテキパキととりはからってゆく知性をもっている女性なのである。恐らくここに、鎌倉期の女性の理想像があったに違いない。
鎌倉期の仏像はふつう運慶、快慶のリアリズ芸術によって代表されるが、運慶や快慶で知られる仏像には、力にみちた仏像が多い。このような男性リアリズムの精神の背後にあった理想的女性像は何であったか。私は突如として鎌倉に出現したこの裸形の弁天こそ、このような鎌倉武士のもった女性的理想像ではなかったかと思うのである。
鎌倉武士を支配した宗教は禅宗だといわれるが、学のなかった鎌倉武士が、難解な禅の教えをどれだけ理解したかは疑問のように思われる。
力にみちた武人と、豊かな肉付きをもった女性に対する信仰が彼らの信仰であり、禅は教養的看板にすぎなかったと見るのが、もっともありうることのように思われる。
続 仏像―心とかたち
望月 信成 (著)
NHK出版 (1965/10)
P135
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