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匈奴 [雑学]

「匈奴」
 という、モンゴル高原の騎馬民族が、中国の史書に出現するのは、紀元前三一八年である。その後百年ほどして匈奴帝国が樹立し、南下して漢民族の地を侵した。
このとき、中国を統一して漢帝国を興したばかりの漢の高祖はみずから大軍をひきい、大同付近で戦ったが匈奴三十二万騎に包囲され、身をもって脱出し、のち、娘を匈奴の単于(ぜんう)(王)に送って妻とし、さらに年々ばく大な貢物をモンゴル高原に送り、単于をもって兄として事(つか)えるという屈辱的な関係をもった。
これが、もっとも豊富に匈奴関係の記事が史書にあらわれる最初である。
 匈奴は、騎馬人である。
 人間が馬にじかに騎(の)るという技術を考えたのは、紀元前六世紀から同三世紀ごろまで、黒海沿岸の草原で活躍していたスキタイらしい。スキタイはそれに関する出土品によってもわかるように、目がくぼんで隆鼻のイラン系の民族である。
 このスキタイの騎馬技術が、中央アジアの草原で牧畜をしている諸民族に影響をあたえ、それが東へすすみ、ついにモンゴル高原にいた民族の生産と生活をスキタイ化し、ついに大騎馬団をもって中国史に出現するのが、匈奴であろう。
~中略~
 この紀元前の匈奴が何者であるにせよ、その生産形態をほぼ生き写しにしていまなお踏襲している世界唯一の民族が、モンゴル人である。
「史記」の「匈奴列伝」には、
「家畜にしたがって移動し、鳥や獣を射猟して生業とする。君主以下、みな畜肉を食料とし、その皮革を衣服とし、旃裘(皮ごろも)を被(き)る」
 と、ある。

街道をゆく (5)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/10)
P95

 

DSC_1738 (Small).JPG吉野ヶ里遺跡

P190
 人類の歴史でもっとも古い遊牧民族は、前六世紀から前三世紀にかけて活躍したスキタイであるとされる。スキタイは黒海のそばの草原地帯を遊牧地とし、その種族は、かれらが遺した金属彫刻によって印欧系であると想像されており、その生活文化については、前五世紀のギリシャの歴史家ヘロドトスの「歴史」に紹介されている。すでにそこに包(ユルト)(パオ)が出現しており、馬乳酒もさかんに飲まれているのである。

P241
人間がジカに馬の背に乗っかって行動するというのを発明したのはスキタイ(前六世紀から前三世紀ごろまで黒海北岸の草原で活躍したイラン系民族)であるといわれているが、そのころギリシャ人や漢民族は馬に乗れなかった。
馬といえば、馬に輓(ひ)かせる戦車しか持っておらず、騎馬武人の軽快な運動性にとてもかなわなかった。
 ユーラシア大陸の西方においてスキタイが消滅するころ、東方においては匈奴という大役者が出現する。黒海で発生したスキタイの騎馬法がはるかにこのモンゴル高原へ東漸したのである。
匈奴という大騎馬民族出現するのは紀元前三世紀だから、スキタイの消滅とほぼ時期を同じゅうする。
 その匈奴が、中国の春秋戦国時代(紀元前七七〇~前二二一)の末期にあらわれて北方から南侵をくりかえし、五世紀までその苛烈な反復をつづけるのである。
漢民族はこの、人が馬の背に乗って騎射する連中に対し、戦車と歩兵で戦ったが、とうてい歯が立たなかった。




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