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隣人の見た日本人 [国際社会]


秋山謙蔵の文章を借りると、
「・・・・・当時外人に反映した日本人の性格は「吾学篇」に奸狡(かんこう)の語を以て代表せされ」
 とある。悪賢くてずるい、というほど他人に対して悪しざまな言葉はない。
 秋山が摘出した文献のなかに、前記「籌海図編」のなかに日本人評がある。
 「倭奴(わど)(日本野郎というほどの意味)ハ、狡猾ニシテ素(もと)ヨリ義を慕フノ誠ナシ」
 と、いかにもはげしい。
 また明の「皇明世法要録」に言う。
 「性、徂詐(そさ)ニシテ狼貪(らうたん)ナリ」
 徂詐とは狙い撃ちのようにして人をたばかる。狼貪とは狼のごとく貪(むさぼ)る。どちらもすさまじい表現である。
 おなじく「皇明実録」では、
「倭情、譎詐(けっさ)、遽(にはか)ニ信ズベカラズ」
~中略~
 ところが、十五、六世紀におけるこれら漢文文献関係の日本人評の悪さにひきかえ、おなじく漢文文献の関係の琉球人評は、黒と白ほどに評判がいいのである。
 「俗ハ、死ヲ軽ンズルコトヲ尚(たふと)ビ、進ムヲ知ッテ退クヲ知ラズ、戦ヘバ勝タザルコトナシ」(「李朝世祖実録」)
 「其ノ俗、皆礼法に循(したが)ヒ」(「殊域周咨録」)
 といったぐあいなのである。明の使節潘営が「礼儀之郷」といったということも、琉球人評の一つに数えていい。
~中略~
 中世における琉球人の貿易活動はじつに盛んなもので、その行動圏は日本、朝鮮、中国、そして遠く東南アジアにまで及んでいたことは、諸記録をみてもあきらかである。
沖縄の「万葉集」といわれる「おもろさうし」にも、そういう歌がある。
~中略~
 評判といえば、当時、ヨーロッパ人からみた東南アジアでの日本商人の人格的印象は決して悪くはないし、さらには、フランシスコ・ザビエルらの日本人評にいたっては、日本人として照れたくなるほどにいい。
だからかならずしも、漢文文献による評判だけで、秋山謙蔵のように当時の日本の貿易商人を品評することはできない。

街道をゆく (6)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/12)
P46


DSC_5402M (Small).JPG恒見八幡神社



 くり返していうが、百年あまりまえまでは、日本にとって中国は、先進の技術や、文物の供給源にしぎなかった。中国の影を、そんなに政治的に意識しないですんだ。
双方にとって、たがいに友好的であるのはもちろん望ましいが、かりに非友好的な関係であったとしても、現実にはべつに差支えなかったのである。
 どうでもよかった隣人。―
 といえば言いすぎかもしれないが、すくなくとも、おたがいに息苦しくなるほど相手を意識したケースは稀でであった。
 幕末明治期から、この淡白な隣人同士が、どうでもよいというわけにはいかなくなったのである。


日本人と中国人――〝同文同種〟と思いこむ危険
陳 舜臣 (著)
祥伝社 (2016/11/2)
P45














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