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沖縄語 [言葉]


 沖縄人が沖縄語に愛着するのは当然の話である。いわゆる普通語のいかに達者な人たちでも、たがいの間ではこれを使わぬようにする。今の程度で二通りの語が、併用せられて行くことを望んでいる。伊波君などの沖縄口の講演は、非常に好い感じをもって聴かれている。やがては、これで書いた本なども出ることと思う。自分はこれが一種の国語運動であっても、なお賛成するつもりであるが、しかも遺憾ながらついには徒労に帰するだろうと思う。その理由は極めて簡単である。沖縄語にはまだ統一の事業が完成していなかった。統一の基準となるべき首里那覇の語には活力があるが、それがあり過ぎてかえって盛んに変化している。これでは保存の方で追いつくことができぬと思う。

海南小記
柳田 国男 (著)
角川学芸出版; 新版 (2013/6/21)
P85




DSC_1793 (Small).JPG天草

P86
沖縄の方では眼の言語はずっと昔から大和と共通であったのである。中でも官府の記録文書などは、どうしてこうまでに熟練したかと思うほど、完全なる罷在や奉存を綴っていた。
たまたま一、二の変わった用語があるかと思えば、それも西国一帯の特色を伝えたまでであった。
この文章はもちろん勉強して学んだものであって、表現の順序が同じかった上に、社会関係の複雑緻密になるにつれて、これを意味する語の不足分を、おいおいに内地から取り寄せて、補充して行く久しいしきたりがあったから、別にこれ以外に沖縄一流の文章を、発達させる機会がなかったのである。
~中略~
 音韻の変化などは、離れて住めばどこにも起こる。一所に住めばまた次第に一致して行くだろう。~中略~
われわれから見れば沖縄は言葉の庫である。書物もなかった上古以来、大略できた時代の符徴を附けて、入れておいた品がたいてい残っている。
内地の方で損じたものが島では形をまっとうしている。それを棚おろしをして引き合せてみるためには、まず小さな誤解からかたづけてゆかねばならぬ。
 今の正しい首里語なるものに耳をかたむけると、律義な九州辺の武士に対するような感じがする。
彼らの応酬に多く用いられた、「もっとも」「ずいぶん」「まったく」などの副詞が、意外に最初の意味に近く使われているためでもあろう。また何々の「ような」をグートルと言い、何々する「ならば」をドンセーという類は、今も存する九州の方言であるが、あるいは本来の沖縄語かと思うほど、盛んに用いられている。
聞きたいをチチブシャン、ないだろうをネランハジと言うブシャンやハジも、「欲しい」と「はず」との中世の用い方のままであるが、われわれの俗語がかえって変わってしまって、今では向こうの方の一つの特色と見られている。
「はず」はたしか弓矢から出た武家の語で、きっとまちがわぬという場合に用いたかと思うのに現在こちらでは、「だろうと思うが」くらいのところに使っている。







タグ:柳田 国男
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