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鍋島斉正 [雑学]


 日本史上最悪のシーボルト台風に襲われた佐賀藩は、一八三〇(天保元)年、満一五歳の新藩主・鍋島斉正を擁立して、藩の立て直しをはじめたが、容易でない。
~中略~
 ただ、困れば、考えもするし、覚悟をきめて行動もする。斉正は、儒者の古賀穀堂と一族の鍋島茂義の二人をブレーンにして必死に改革に乗り出した。
 佐賀につくと、施政方針をだした。根本理念に掲げたのは「論語」の「節用愛人」という言葉であった。「用を節して人を愛す」とよむ。財政を節約して人をいたわる。
年貢収入でやっていけるよう、無駄遣いをやめ、武士と領民に負担を掛けないようにしたい。「少しずつ四民(士農工商)が安堵できるよういしたい」ともいった。被災後に国の立て直しを迫られた時、この少年播種は「四民が安心して暮らせるように」、これが自分に課せられた課題だと、はっきり意識し宣言したのである。
~中略~
なにしろ、斉正を育てた学者古賀穀堂が変わっていた。「西洋諸国は天文・地理・器物・外科等に唐土万国よりも詳しい・・・・治国の制度にも色々面白いことがあって、経済の助けにもなる。肥築両国(佐賀・福岡両藩)は長崎(警備)のお勤めで万国の抑えをなされるから、いずれ蘭学の人がいなくてはかなわない」(「学政管見」)という思想の持ち主。天文・地理など技術的な面はともかく、国を治める統治にも西洋の制度を利用して経済の助けにするなどという、当時としては過激な考えを持っていた。
さらに鍋島の武雄領主の鍋島茂義という蘭学好きがいて、斉正はこの二人をブレーンに改革をすすめていた。
~中略~

 藩主みずからが西洋帆船に乗りその構造をみた段階で、佐賀藩は日本中どこにもない異常な藩になった。
鍋島茂義は火縄でなく火打ち石で点火する西洋銃を購入。オランダ式の銃陣の研究をはじめ、兵の洋式化をすすめた。
以後、戊辰戦争まで佐賀藩は他のどの藩よりも軍事技術で最先端を行った。最新式銃はまず佐賀藩が採用し、佐賀藩で旧式化した銃を他藩が買った。
 一八二八年のシーボルト台風の被害から立ち直るために、佐賀藩に西洋文明を重視する改革派勢力が登場。これが日本国内に佐賀藩というミニ西洋工業国家を誕生させ、この権力体が、のちに東芝の祖となる田中久重(からくり儀右衛門)を雇い、大砲製造を命じるなどあらゆる西洋文物の国産化を試させた。日本中の藩も佐賀藩にならって大砲を鋳造する反射炉(溶解炉)の建設をはじめたのである。未曾有の台風は日本の近代化に絶大な影響を与えた。

天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災
磯田 道史
(著)
中央公論新社 (2014/11/21)
P120


天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災 (中公新書)

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  • 作者: 磯田 道史
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2014/11/21
  • メディア: 新書


 

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