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一本釣り [雑学]

 その(住人注;「宮本常一著作集」(未来社刊)第八巻の「海をひらいた人びと」の序文に、
「・・・・・この書物を書いていて、日本の海をひらいたのはまったく無名の人びとがあったのだということに気がついた」 
 と、ある。~中略~
 この書物のなかに、「一本づり」という章がある。
 一本づりはむろん、古代からあった。しかしそれを技術として高度に発達させたのは、徳島県の堂ノ浦の漁師である、と書かれている。
 阿波の堂ノ浦というのは播磨灘と鳴門海峡を漁場としてきた古い漁村で、代々よほど賢い漁師の系譜がつづいていたらしく、宮本氏の右の著作によれば瀬戸内海の漁師たちはよくここへ一本釣りの進んだ技法をならいにきたものだという。  

街道をゆく (7)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1979/01)
P132

DSC_3017 (Small).JPG宗像 大島

P135
 氏の言われるところでは、一本釣りの漁師は魚の多くあつまる沖に近い所に村をつくったという。
それまでの漁法は、夜の漁が多かった。古代から漁火(いさりび)ということばがあるように、舟の上で火をたいて、アジやサバをあつめた。
このため、家族がみな船にのって生活したりせねばならなかったが、テグスの発見とともに一本釣りは昼漁でなければならなくなり(山をみて船の位置をきめるため)昼だけで十分暮らしがたつだけの水揚げを得るようになった。
漁民は、船上生活をして魚をもとめてさすらわなくても済むようになった。つまりは、漁業にも漁村のくらしにも、大きな変化がおこったというのである。


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