端境期の知性 [哲学]
内田(住人注:内田 樹) 前略~ おそらく医学もそうだと思いますが、自然科学では、ある仮説がだめになった後、次の有効な仮説が出てこない過渡期みたいな時期というのが、必ずあるんですね。そういうパラダイムとパラダイムの端境期には必ず混乱が起きるのですが、クリアカットな論理を好む人というのはそういうとき、古い理論にしがみつくか、まだ不安定な新しい理論にパッと乗り移ってしまうのかのどっちかになってしまうことが多い。
でも実際には、そうした時期には新しいところもつまみ食いしながら、古い理論の使えるところも取るというような、いい加減で、中途半端なやり方が必要なんです。
そういう端境期の「酸欠状態」を、息を止めて「グッ」と我慢する。それは、普通考えられているよりもずっとフィジカルな知性のあり方だと思います。瞬間的な判断力じゃなくて、どれくらいの時間、判断を保留したまま我慢できるのか。こういう「知性の量的な側面」というのは、なかなか問題にされてこなかったと思います。
でも実際には、そうした時期には新しいところもつまみ食いしながら、古い理論の使えるところも取るというような、いい加減で、中途半端なやり方が必要なんです。
そういう端境期の「酸欠状態」を、息を止めて「グッ」と我慢する。それは、普通考えられているよりもずっとフィジカルな知性のあり方だと思います。瞬間的な判断力じゃなくて、どれくらいの時間、判断を保留したまま我慢できるのか。こういう「知性の量的な側面」というのは、なかなか問題にされてこなかったと思います。
「治らない」時代の医療者心得帳―カスガ先生の答えのない悩み相談室
春日 武彦 (著)
医学書院 (2007/07))
P171
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