巫女 [雑学]
本物の巫女は、欺瞞でなしに特異な精神状態におちいる。
神が憑くと、すわったまま信じがたいほどの高さまで跳躍する。その間、戦慄があり、恍惚がある。また無意識の狂舞がある。そういう状態のなかから、憑依(ひょうい)した神霊の言葉を吐くのだが、どこか、女性に多いヒステリー状態と似ているせいか、巫女は女に多い。
周知のように、巫女とそれらにちなむ宗教現象をシャーマニズムという。古アジア一般の原始信仰で、どうやら発生地はシベリアではないかという説が一般的である。ともかくも、シャーマニズムの系譜は、北の方の寒い土地からきた。エスキモーからツングース、モンゴル、朝鮮、さらに南下して海にうかぶ日本にいたる。
三世紀の卑弥呼もシャーマンであったとしていいし、いまなお日本の新興宗教の教祖にシャーマンが少なくない。
韓国ではいまでもシャーマン(男女を問わない。ふつう巫堂(ムーダン)という)が多い。呪具をいくつか持っているが、太鼓もそのひとつである。先日、梨花女子大学の李御寧(イ・オリョン)教授に会ったとき、韓国南部のどこかの島に本物の―原始的な―シャーマンが残っているから会いに行ったらどうかという勧めをうけた。そのとき、この比較文化論の俊英は、つぶやくように、
―遠くシベリアで発祥したシャーマニズムが、いまなお韓国の島にのこっているのです。
と、やや感動をこめていわれた。
シベリアのシャーマンについては、ロシアの学者や探検家の著作によらねばならない。
たとえば、ヤクート族(いまは東シベリアのヤクート共和国を構成する)のシャーマンは十九世紀の探検家が書いた絵によると、烈しく踊りつつ太鼓をたかくかざし、乱打している。
モンゴルのシャーマンも太鼓をつかうが、ヤクート族や韓国の太鼓のように大きくはなく、小鼓のようなかたちをしている。~中略~
日本の東北地方では、巫女のことをイチコという。モンゴル語では巫人(イテイガン)という。まさか関連性はないとももうが、いずれにしても、日本の基層文化の一部に、発酵食品にせよ、シャーマニズムにせよ、シベリア圏にまでおよぶ古アジアの民俗をふくんでいることをわすれるべきではない。
ロシアについて―北方の原形
司馬 遼太郎 (著)
文藝春秋 (1989/6/1)
P178
P181
仏教は奈良朝のころに形をととのえるのだが、固有の信仰は巌(いわお)の下の木賊(とくさ)かなにかのように、地下茎をはびこらせつつ生き残った。
固有の信仰のなかでも、神社の形をとったものは、幸せだった。 神社は仏教と習合することで、むしろ官によって保護された。神社とおなじ根をもつものに、巫女があるが、これはつねに野(や)にあって独行した。多くの巫女たちは旅をつづけたから、歩き巫女などともいわれた。
巫女は、みずから神がかったり、他者に神を憑かせたりする。彼女たちは一般社会から怖れられることがあっても、「決して親しまれたり、愛されたりっしてはいなかった」(中山太郎著「日本巫女史」)。
つまり怪性(けしょう)に近い存在。ときにわざわいをなすかもしれない超能力者。あるいはこれとうかつに睦んだりすれば、病毒を感染(うつ)されるおそれのある者。
この巫女こそ、古アジアのシャーマニズムと同根のものであり、日本におけるその末裔だったといっていい。
~中略~
奈良朝あたりから、有力な神社は仏教の伽藍なみに社殿をもち、神官も官人に似た容儀で身をかためるようになった。同時にシャーマニズムがもつあらあらしさや妖異な感じをうしなった。
そのぶんは、野(や)における巫女がになうのである。
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