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光明皇后 [見仏]

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 光明皇后の御生涯は、かくのごとく聖武天皇と信仰をともにされた美しい生涯であったが、しかし皇后もまた帝にもまして時の苦悩を負われた方であった。前にちょっとふれたように、光明皇后は不比等と橘三千代とのあいだにお生まれになったのだが、この橘三千代は天平の背後に躍った稀代(きだい)の辣腕(らつわん)家であった。血族国家において女権の伸長するのは、とくに女帝のみ代において甚だしい。

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 光明皇后はこの辣腕の夫人を母として生まれたのである。神亀(じんき)元年三月御年十六歳のとき光明子として聖武天皇の妃となられ、天平元年八月に皇后として立たれた。臣下の姫にして皇后となるのは稀有であり、まして不比等一族の背景をあることを思えば、当時群臣に与えた衝撃の大きかったことは云うまでもない。 ~中略~
若く美しい妃として、群卿(ぐんけい)に臨まれ、つねに優雅な振舞いをもって接したもうたことが推察される。
母君たる三千代夫人にも無心の孝養をつくされたであろう。しかも一方において、ご自身に注がれる羨望(せんぼう)と反感の眼をも、鋭敏な御心は必ずや感じておられたに相違ない。
皇后に関する伝説はすべて熱烈な信仰を物語っているが、血につながる一切のものの罪禍を、自らそれとなく悟られ、観無量寿経の韋提希(いだいけ)夫人のように仏前に祈られたのではなかろうか。 ともあれ光明皇后は、女性の身として、時の最も苦しい立場に立たれたことは歴史をみるとき明らかである。

大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)

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