人物の観察法 [処世]
佐藤 一斎先生は、人と初めて会った時に得た印象によってその人の如何なるかを判断するのが、最も間違いない正確な人物観察法なりとせられ、先生の著述になった「言志録」のうちには、「初見の時に相すれば人多く違わじ」という句さえある。
~中略~
孟子の人物観察法は、人の眼によってその人物の如何を鑑別するもので、心情の正しからざるものは何となく眼に曇りがあるが、心情の正しいものは、眼が瞭然として淀みがないから、これによってその人の如何なる人格であるやを判断せよというにある。
~中略~
孔夫子の論語に説かれた人物観察法は、まず第一にその人の外部に顕れた行為の善悪正邪を相し、
それよりその人の行為は何を動機にしているものなるやを篤(とく)と観、
さらに一歩進めて、その人の安心はいずれにあるや、その人は何に満足して暮らしてるや等を知ることにすれば、
必ずその人の真人物が明瞭になるもので、如何にその人が隠そうとしても、隠し得られるものではないというにある。処世と信条
渋沢栄一 (著)
論語と算盤
角川学芸出版 (2008/10/25)
P29
福岡市 十日恵比寿
一〇 子曰わく、その以( な )す所を視、その由( よ )る所を観、その安んずる所を察すれば、人焉( いずく )んぞ痩( かく )さんや、人焉んぞ痩さんや。
~中略~
先生がいわれた。
「 どんな原因によって行動するかをながめ、どんな理由のもとに行動するかをしらべ、どんな信念にささえられて行動しているかを推察するならば、人間はどうして自分を隠しおおせようか、どうして隠しおおせようか 」
為政篇
論語
孔子 (著), 貝塚 茂樹
中央公論新社 (1973/07)
P41
八観法
P179
東洋には、人物観察法の面白い材料がたくさんあります。その中の優れた例といたしまして、「呂氏春秋」にある八観法をご紹介しましょう。
一、通ずれば、その礼するところを観る。
少し自己がうまくいきだした時に、どういうものを尊重するか。金か位か、知識か、技術か、何かということを観るのです。
二、貴ければ、その挙ぐるところを見る。
地位が上がるにつれて、その登用する人間を見て、その人物が解るというものです。
三、富めば、その養うところを見る。
たいていは金ができると何を養いだすか。これは誰にも分かりよいことです。たいていは着物を買う、家を建てる、骨董品を集める―決まりきっています。
四、聴けば、その行なうところを観る。
聴けば、いかに知行が合一するか、あるいは矛盾するかを観る。なかなか実行となると難しいものです。
五、止まれば、その好むところを観る。
この「止まる」は俗に言う「板についてくる」の意です。
六、習えば、その言うところを観る。
習熟すれば、その人の言うところを観る。話を聞けば、(学問がどの程度身についているか)その人の人物・心境がよく分かる。
七、貧すれば、その受けざるところを観る。
貧乏すると何でも欲しがるというような人間は駄目です。
八、窮すれば、そのなさざるところを観る
人間は窮すれば何でもやる、恥も外聞もかまっておられぬ、というふうになりやすい。
六験
P182
一、之を喜ばしめて、以ってその守を験す。
~中略~ 人間は嬉しくなると羽目を外す。しかし我々には、外してならぬ枠がある。これが守です。ところが、いい気になって軽々しくこの枠を外すと乱れてしまう。
二、之を楽しませて、以ってその癖を験す。
~中略~
三、これを怒らしめて、以てその節を験す。
~中略~
四、これを懼(おそ)れしめて、以てその独を験す。
この「独」とは絶対性・主体性・独立性を意味する言葉で、単なる多に対する孤独の独ではない。
五、これを苦しましめて、以てその志を験す。
~中略~
六、これを哀(かな)しましめて、以てその人を験す。
悲哀はその人柄全体をよく表します。
安岡正篤
運命を創る―人間学講話
プレジデント社 (1985/12/10)
P20
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