漢委奴国王 [雑学]
とにかく、甚兵衛さんはびっくりして、腰を抜かしたのかもしれない。
天明四年(一七八四)二月二十三日、筑前の国(福岡県)志賀島の、叶(かな)の崎で甚兵衛さんが鍬で田の溝を直していたら、不思議なものを掘り起こした。
「貴重なものかも知れん」と、庄屋にとどけでた。報告をうけた黒田藩がのりだし、藩に差し出すことを命じた。そして、藩の学者亀井南冥たちが調査し、「後漢書」の記事の「東夷の委奴国が、遣使によって紫綬金印を賜った」などから、その金印であると判明した。
~中略~
それにしても、古墳でもない田の溝なんかから、副葬品でもない金印がどうして出たのか?ナゾは残る。
ことによったら、「委」も「奴」も、ともに文字としては差別的なもの。誇り高い倭人がこんなもの貰えるか、と怒って放り投げたんじゃないか、と思っている。
この国のことば
半藤 一利 (著)
平凡社 (2002/04)
P179
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