無分別になろう [言葉]
仏教語としての分別は、ものごとをあれこれ分析して自分勝手に判断し、より好みしたりする心のはたらきをいいます。
妄分別というように「妄」の字を加えることもあります。このような分別の心を離れた境地は、無分別とも無心ともいわれます。
日常語でも「無心に遊ぶ子ども」などといわれるとき、余分なことはなにも考えずに、ただひたすら遊んでいる状態をいっています。
~中略~
それは人に恐ろしいという思いがあるときに乗じて、悪鬼は襲いかかるけれども、恐怖の心をもたない場合は悪鬼もつけ入る隙がないのと同様であるともいわれます。
維摩経をよむ―日本人に愛されつづけた智慧の経典
菅沼 晃 (著)
日本放送出版協会 (1999/06)
P178
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