戦国時代の僧の役割 [雑学]
「心頭滅却すれば火もまた涼し」というように、禅は気合いの仏法である。 (住人注;戦国大名は)子ども時代に禅寺で修行し、気持ちを高める漢詩や漢文を学ぶことは、戦でもっとも重要な決断力を養うのに大いに役立ったのである。 それに領内の治世や外交にも、禅僧をはじめとする僧の力が必要だった。 僧は文書の作成に長けていただけでなく、その師弟関係を軸とする人脈は大名の領国を越えて広がっていた。そのため、さまざまな交渉を僧が引き受けた。 豊臣秀吉の毛利攻めのときも、毛利方の交渉役は安国寺恵瓊(あんこくじえけい)という臨済僧で、のちに秀吉によって僧のまま大名に取り立てられた。 そのほか、徳川家康が幕府を開いたときも、臨済僧の金地院崇伝(こんちいんすうでん)、天台僧の天海(てんかい)の二人が黒衣(こくえ)の宰相、すなわち僧服を着た政治顧問として幕府の体制をつくりあげたのだった。 ~中略~
仏像探訪 (エイムック 2124)
エイ出版社 (2011/2/17)
P13
政教分離の現在では考えられないことだが、自身の精神を安定させるためにも、領国を治めるためにも、大名にとって僧はきわめて重要なポジションを占めていたのだった。
~中略~
こうした寺社の保護は、各地の戦国大名にとって重要なことだった。
前述したように、僧は政治顧問や子弟の教育などの役割を担っていたほか、土地の神仏を保護することは、領民の心をまとめるうえで非常に重要だったからだ。
大角 修
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