古に仿(なら)えば今に通ぜず [学問]
一一 子曰わく、故( ふる )きを温めて新しきを知る、以て師と為すべし。
~中略~
先生がいわれた。
「煮つめてとっておいたスープを、もう一度あたためて飲むように、過去の伝統を、もう一度考えなおして新しい意味を知る、そんなことができる人にしてはじめて他人の師となることができるのだ」
( 故きを温めて )「 温 」を朱子の新注で「 たずねる 」と訳しているか意訳にすぎる。漢の鄭玄( ていげん )にしたがって、冷えた食物をあたためなおす意味にとるが、これが原義である。
*孔子はたんなる物知り、過去のことをよく記憶しているだけでは学者になれないと考えたのであろうが、そこまでいわずに、物知りでは他人の先生にはなれないと控えめに述べている。
為政篇
論語
孔子 (著), 貝塚 茂樹
中央公論新社 (1973/07)
P42
(住人注;松陰が橋本左内からかりた)辺備摘案を写しおえると、それと一緒に借りてきた「聖武記附録」を読みはじめた。
これは、清の魏源
の著作である。
(これは佳句だ)
とおもうことばがあったので、いそいで手帳にかきとめた。
古に仿(なら)えば今に通ぜず
雅を択べば俗に諧(かな)わず
その意味は、
「古学ばかりの世界に密着しすぎると、現今ただいまの課題がわからなくなる。また、格調の正しい学問ばかりやっていると、実際の世界のうごきにうとくなる」
世に棲む日日〈1〉
司馬 遼太郎 (著)
文藝春秋; 新装版 (2003/03)
P72
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