記者クラブというシステム [日本(人)]
記者クラブメディアによる報道のおかしさは、東日本大震災前から常に感じてきた。当局どおりに、まるでプレスリリースのような記事をほとんどそのまま書いてしまう。
よく言われるが、「これでは大本営発表と一緒ではないか」と感じる場面があった。
その典型が、小沢一郎氏が民主党の代表を務めていた時代の西松事件だ。~中略~ その後、大手新聞をはじめとする全メディアが一斉に小沢氏をバッシングし始めた。
小沢氏は逮捕も起訴もされていないのに、すでに有罪が確定しているかのような記事が洪水のように流れた。
~中略~ 当局は「新自由主義経済の象徴」であるホリエンモンをスケープゴートにした。そして西松事件のときと同じように、東京地検特捜部の情報をそのままリークしてホリエモンバッシングに奔走したのだ。
「本当のこと」を伝えない日本の新聞
マーティン・ファクラー (著)
双葉社 (2012/7/4)
P75
P54
社会革命によって国が成り立ってきたアメリカでは、国民は基本的に中央政府がやることに根強い疑問をもっているし、それは現在も変わらない。
同じようにアメリカのジャーナリズムも、中央政府への批判精神を強くもっている。当局がおかしなことをやっていないか。ジャーナリストは、自分たちが当局のチェック機能を担おうという意識を強く持っている。
アメリカ人にとって、ジャーナリズムは「watch dog(番犬=権力の監視者)」であるべきだという強い共通認識がある。権力をじっと監視し、ひとたび不正を見つければ、ペンを武器に噛みつく。
だから、省庁や警察署内に詰め所を設けてもらい、各社の記者が寄り集まってプレスリリースをもらうなどという記者クラブのシステムは理解できない。
P102
もしこんな誕生会(住人注;北沢俊美元防衛相の)を企画してプレゼントまで送っていたことがわかれば、ニューヨーク・タイムズの記者ならば即刻クビを宣告されるだろう。記者クラブという制度云々以前に、ジャーナリストとしてのスタンスを疑われる大きな問題だ。
こういう誕生会を企画して出席しているだけでなく、右記のような能天気な記事を平気でニュースとして載せてしまう感覚を疑う。
プライベートな付き合いのある政治家に、個人的にお祝いをしたのだったらまだわかる。それが、記者たちの取材対象である国会議員と、家族や友人のような仲良しグループを結成してしまう。これこそ、権力者と記者が一体化してしまう、記者クラブというシステムの本質を示している気がしてならない。こんな距離感では、ジャーナリストとしてまともな記事を書けるはずがないと断言できる。
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