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介護者主導型介護 [言葉]

家族社会学者の笹谷春美さんは、日本で実際に介護を引き受けた高齢の夫の事例を研究対象にした(家族ケアリングをめぐるジェンダー関係」~略~1999年)。  定年後の夫は、妻が要介護になると、使命感を感じて、「オレの出番!」とがんばる場合がある。
~中略~
 笹谷さんはこういうタイプの夫の介護を「介護者主導型介護」と呼ぶ。つまり、介護が夫主導になり、介護される側の妻がそれに文句もいわず従わなければならない傾向がありということだ。
 介護される側になるということは、立場を問わず不如意なことが多いものだ。
「よい介護」とは、なんといっても介護される側にとって受けたい介護のこと。~中略~
 介護や医療の方針が食いちがったときなど、介護を受けている妻が、夫に異を立てるのはむずかしい。「お父さんのいいように」と、自分を人体実験の材料であるかのようにさしだす妻もいる。
そうなれば、ほとんど「介護されるボランティア」みたいなもの。  いやいや、男の介護に水をかけようというわけではない。介護は、する側とされる側とで、強者と弱者の力関係ができる。

男おひとりさま道
上野 千鶴子 (著)
文藝春秋 (2012/12/4)
P41

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両子寺


P225
 介護保険ができたときに、「親不孝保険」と呼ぶ人がいました。たしかに介護保険を推進した主要なアクターは、介護世代の有権者達でした。
その要求は「ちょっとでも家族介護負担を減らしてほしい」というものですから、ある意味「ウバ捨て」動機だったともいえます。
日本の介護保険は、高齢者自身が自分たちの老後の安心のためにつくってほしいと要求してできたものではありません。
社会保障先進国の高齢者福祉の歴史を見てみると、高齢者福祉は要介護世代の要求によってではなく、介護世代の要求によって推進されてきたことがわかります。

P235
 子どもに迷惑かけたくない・・・・・という動機は、とりわけ壮絶な介護体験の持主ほど、強く感じる傾向があるようです。自分が背負いきれないほどの負担を背負ったゆえに、子どもには同じ思いをさせたくないことはわかります。
それなら、大きな負担ではなく、ほどほどの負担をかけることをためらう理由はなさそうに思えます。家族の介護負担を軽減して、ほどほどに背負える程度にすること、それが介護保険の理念だったはずです。そしてそれこそが、家族を壊すどころか、家族を守る唯一の処方箋でしょう。
 だからこそわたしは、「いっしょに暮らさない?」という子どもからの申し出を[悪魔のささやき」と呼ぶいっぽうで、親世代には、たとえそれに「ノー」と答えたとしても、「おまえの世話にはならないよ」と憎まれ口を叩くのはやめたほうがよい、とアドバイスしてきました。そういうときには、「万が一のときにはよろしくね」と、言っておいたほうがよい、なぜって何があるかわからないのが、老後というものだからです。

おひとりさまの最期
上野千鶴子 (著)
朝日新聞出版 (2015/11/6)



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