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神の計画 [宗教]

橋爪 キリスト教徒は世界を、「イエス以前」「イエス以後」で分ける。西暦は、イエス・キリストの生誕を基準にする、キリスト教暦です。
 じゃ、ユダヤ教はどこで分けると思う? ユダヤ教にも「旧い世界」「新しい世界」という考え方がある。
大澤 分けるとすれば、モーセが律法をもらったところですか?
橋爪 違いますね。
大澤 そうするとノアの方舟?
橋爪 そう、「洪水前」と「洪水後」。そこで一回、神が直接介入しているでしょう。人間があまりに罪深いので、自ら手を下して人間を滅ぼしているんですよ。
~中略~
 ノアの前、なぜ人間が神に背くようになったかというと、預言者もいないし、律法もなくて、言わば野放しの状態だった。
そこで神は、介入を強めることにして、モーセの律法を下したのです。人間はこうして、何が正しく何が間違っているか、律法に照らして認識できるようになった。
すると、律法(神の命令)に、従うことも反することもできるでしょう?ここで「罪」という概念が、明示的に生まれた。ノアの前は律法なしの罪だったのが、今度は、律法に照らしての、ルール違反なんですね。
 イエスの出現はこの延長線上なんです。
 キリスト教からすると、まずノアの洪水(神の直接行動による処罰)があって、それから、契約(モーセの律法)によって人間に規範を与えた。でも、ルール通りにできない罪をどうするかという問題になり、それが無視できないまでになったとき、イエス・キリストが現れた。

ふしぎなキリスト教
橋爪 大三郎 (著), 大澤 真幸 (著)
講談社 (2011/5/18)
P188

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P190
橋爪 まず、いまのべたように、イエスが十字架で死んだりしないで、直接、最後の審判が行われたら、たぶん、ほとんどの人間は、救われない。
大澤 そうですね。その場合は全員救われないというのがたぶん正解でしょうね。
橋爪 神は、それをしたくなかったんです。
 そこで、別な計画(シナリオ)を用意した。それによると、最初にイエスが、ただの人間(人の子)として現れて、人間の罪を背負ってみじめに死んでしまう。そして、復活する。そのあと、天に昇った。
 天に昇ったのは、やがて再臨するため。そのときは、本格的な神の介入になる。イエス・キリストは、人に殺されたので、人間に復讐する資格がある。人間は、どんな罰を受けても文句は言えない。
でも逆に、イエス・キリストは人間を赦す資格がある。イエス・キリストは人間として死刑になったので、罰はもう済んだと言える。どちらになるかは、イエス・キリストの裁量です。
イエス・キリストが再臨する「主の日」に、最後の審判を行う。こういう、ワンクッションを置いた。これが、キリスト教の考える、神の計画です。


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