フクシマに学べ [社会]
雨降れば 雨に放射能 雪積めば 雪にもありと いふ世をいかに
湯川秀樹はこの歌を、米国の水爆実験(一九五四年三月一日)の後に読んだ。ノーベル賞受賞後は核兵器廃絶運動に取り組み、激しさを増す核開発競争を批判した。
太平洋上での実験は予想以上の破壊力を示し、操業中の「第五福竜丸」の乗組員二十三人は「死の灰」を浴びた。日本は広島、長崎に続いて三たび核兵器の脅威を経験している。
気になる科学 (調べて、悩んで、考える)
元村有希子 (著)
毎日新聞社 (2012/12/21)
P162
P163
振り返れば人間はこの七十余年、同じことをくり返してきたのではないか。政治家が科学者を利用し、科学者は好奇心から目標を追いかけ、多くの命を奪い、地球を汚した。むなしい営みである。
P212
ところで「なあに、福島の事故でしょ、九州は大丈夫と思っているあなた。コンパスを使って、佐賀の玄海原発から半径百キロの円を描いてごらん。他人事じゃなくなるよ。
P234
「うまい話には裏がある」。このことわざの意味を、福島の原発事故でかみしめた人は少なくないだろう。過疎に悩む地元にとって、原発が来ることは「仕事が増える、収入が増える、町も潤う」というおいしいことずくめの話だった。だけど、事故が起きてみたら、まるで夢から覚めたように現実が見えた。
原発で定年まで働くことを前提に家を買った家族は、仕事を失い、避難させられて家も失った。東電がスズメの涙の賠償金を支払うことになるが、失ったものはそれ以上に大きい。電力会社からの補助金をあてにしていた町の財政は破綻寸前。それ以前に地域のコミュニティが崩壊して、いつ復活できるかもわからない。
私たち日本人は、いかに頼りない「安全神話」を信じこまされてきたことか。現代生活に電気が必要なことは認めるけれど、たかがタービンを回す蒸気を作るために、わざわざ原発を作る必要がどれだけあっただろう。
にもかかわらず「原発は安全だ」「原発は安い」と言われて信じ込んだ。我々日本人はアホだった。
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