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NIMBY(ニンビー) [言葉]

 英語の国には「NINBY」(ニンビー)という言葉がある。Not In My Back Yardの頭文字で「私の家の裏庭はイヤ」って意味。
たとえば在日米軍基地の九割が沖縄にあるのは不公平だと言うけれど、自分の街に移転してくるのは絶対反対、というようなこと。ごみ焼却場、墓地も同じだ。
 人間って、なんて自分勝手なんだろうね。「よいことをしながら悪いこともする、それが人間ってものよ」。池波正太郎の名作「鬼平犯科帳」にはこのフレーズが何度も出てくる。ある意味真実なのだけれど、やっぱりブレないのが断然格好いいと思う。

気になる科学 (調べて、悩んで、考える)
元村有希子 (著)
毎日新聞社 (2012/12/21)
P215

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P27
 前述の正論―「代議士とは国権の最高機関である立法府の一員であっても、選挙区の利益代表ではない。あの橋もこの道路もトンネルもオレが造ったなどという言葉、簡単にいえば、国費による利益導入という形で選挙区ぐるみ”買収”するような行き方は、民主主義の根底を崩す」は、だれも反論できない「正論」であろう。だがこの正論に、「そうではない。それは国民に平等の生活権が保障されたときにはじめていえる言葉だ」という意味の主張を掲げた最初の人間は(住人注:田中)角栄でもなく新潟県人でもなく山形県選出の代議士松岡俊三であった。
角栄の風土 」は昭和二十一年公職追放で議場を去るまでの彼の主張と足跡を簡単に記している。
そのスローガンは一言でいえば「暖国政治の打破」であり、これは日本国内の「南北問題」だといえる。
明治以降の日本は簡単にいえば薩長を中心とする温暖地が、戊辰戦争で「朝敵」となった寒雪地を支配し搾取した歴史であり、松岡は昭和五年浜口内閣に提言した「雪害建白書」でこれをアメリカの南北戦争以前に類比している。~中略~
田中角栄が「ブルドーザー」の如くに処理して行った問題は、昭和初期に問題として提出され、解決のための発想も提示されながら、戦争のために放置されて来た問題が多い。民選知事岡田(住人注;新潟県初代民選知事岡田正平)は昭和五年の松岡の言葉「天の恵みが薄い雪国に住むわが同胞は、同じ皇民であるにもかかわらず、政治から常に阻害され、一年中、天恵に浴する南方の同胞に比べて実に雲泥の差の境遇に置かれている」
雪国日本人がいまなお無知、鈍重であることを理由に、政府が捨てて顧みる必要がないとするならば、帝国の将来は危うい。千古の昔から不満をのべず、黙々として今日に及ぶ雪国日本人もまた皇民であることを考え、将来に悔いを残すようであってはならない」

P41
あふれるばかりの陳情客。彼らはまずその数に圧倒された。「いやあ、いやあ」と現れた田中(住人注;田中角栄)に小地谷越山会会長が説明を始めると、驚いたことに田中は同盟休校のこともコルゲートを巻いたこともすでにすべてを知っていた。「とっくに終わったもんだと思ってたら、まだそんなことを言っているのか。オーイ山田!」彼は公共事業担当の秘書山田泰司を呼んだ。
絶対動かないと思って半ば諦めていたことが、この一言とともに動き始めたのである。そしてすべてが想像もできない早さで進んでいく。そしてひとたび進み出せば金脈事件による田中退陣もロッキード事件も関係なく進行していき、いつの間にか幹線動脈(国道十七号)の迂回線という大義名分も用意され、ものの見事に貫通する。総事業費十億五千万円、延長五百十三メートル、幅員七メートルの自動車道である。
このことをどう評価するのか。「あの道路はオレが造った。あの橋はオレがかけた。あのトンネルはオレが完成した」といえることが、代議士の職務なのか。彼らは国権の最高機関たる立法府の一員なのか、地域の利益代表者なのか、地域エゴの代弁者なのか。果たしてそれでよいのか。
「新潟三区の人間は政治意識が低いからロッキード事件の刑事被告人を二十二万票の最高点で当選させたのだ」という言葉がる。否もっとひどい「塩谷の人は字が読めないのではないか(それを田中が利用した)」といった発言すらある。これは前述の松岡が言った「無知、鈍重」を連想さす、いわば「暖国人」が「寒雪人」の山間僻地の人を無知文盲あつかいにした言葉だが、こういう侮蔑的な言葉を投げることで問題が解決するのであろうか。
 そこにはあらゆる問題がある。松岡俊三から岡田正平の「朝敵連盟」に至る「寒・暖格差」という問題もあるであろうが、同時に日本の行政機構が救い難いタテ割りセクト主義であることにもある。

P44
 国家より地域偏重の田中政治―学生らの素朴な声は大方の批判と軌を一にする。このやりとりに福岡(住人注;福岡政行)は学者の立場で興味を示す。批判を浴びる田中政治だが、そこには「政治家の命題である〈国会議員は地域ではなく国家の代表であるべき〉と二者択一の論理の見直しを迫るものがある」と―」
 問題はここにあるだろう。ではこのタテマエ論である「二者択一の論理」はどう見直されるべきものなのか。
そこには「地域エゴ」という言葉を塩谷の人はどう受けとるであろうかという問題がある。彼らは「所詮、暖国の人間には理解できまい」と唇を噛むだけだが、言いたいことは次の言葉ではないだろうか。「そういう発言をする学生が受益者である地下鉄はわれわれ出稼ぎが腰まで水につかりながら最低の日当で掘ったものだ。学生が使う高速道路も同じだ。それだけではない。経済成長の下積みはすべてわれわれだ。だがその受益者は暖国地区に限られ、われわれは苦労しただけで何の恩恵も受けていない。それを自覚さえしないのが本当の地域エゴではないか」と。

「御時世」の研究
山本 七平 (著)
文藝春秋 (1986/05)



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