南円堂 [見仏]
それにしても、何故、西国巡礼の霊場はこういうところばかり選ばれたのだろう。
すぐ近くの三月堂には、天平時代の不空羂索観音があり、奈良の付近には、法華寺、薬師寺、法輪寺、法隆寺、聖林寺と、優れた観音がたくさんある。それらが選に洩れたことは、惜しい気持ちがするが、それにはおそらく理由があったにちがいない。
考えてみれば、今あげたような仏像が有名になったのも、美術鑑賞が発達して以来のことで、昔は作のよしあしより、信仰の方が先に立ったためもあろう。
特に巡礼の場合、お寺が有名なことが条件だが、どんなに美しく、信仰を集めた観音でも、格が高すぎるお寺では、近づきにくいという欠点があったかもしれない。
そういえば、この南円堂にしても、興福寺という、甚だ貴族的な大寺の一部であるとはいえ、藤原冬嗣は、弘法大師のすすめにより、一族の守本尊だった観音を、一般民衆に開放するため、新たに造ったお堂であるという。~中略~
信仰を無視して、仏像を鑑賞するのは間違っているという説があるが、私は必ずしもそうは思わない。少なくとも、観音信仰に関するかぎり、もっと鷹揚(おうよう)で、何でも受け入れるといった寛容なものがあり、どこから入って行こうと許されるのだと思う。
そのむつかしさは「狭き門」にはなく、広すぎるところにあるのかも知れない。
ようするに、感動することが大切なのだろう。が、感動することはやさしく、それを何らかの形にとどめることはむつかしい。
(初出「巡礼の旅」淡交新社 昭和40年3月刊)
白洲正子
白洲 正子 (著),広津 和郎 (著),岡倉 天心 (著), 亀井 勝一郎 (著), 和辻 哲郎 (著)
青草書房 (2007/06)
P183
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