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藩都と県名 [雑学]

 明治政府がこんにちの都道府県をつくるとき、どの土地が官軍に属し、どの土地が佐幕もしくは日和見であったかということを後世にわかるように烙印を押した。
 その藩都(県庁所在地)の名称がそのまま県名になっている県が、官軍側である。
 薩摩藩―鹿児島市が鹿児島県。
 長州藩―山口市が山口県
 土佐藩―高知市が高知県
 肥前佐賀藩―佐賀市が佐賀県。
 の四県がその代表的なものである。
 戊辰戦争の段階であわただしく官軍について大藩の所在地もこれに準じている。
 筑前福岡藩が、福岡城下の名をとって福岡県になり、芸州広島藩、備前岡山藩、越前福井藩、秋田藩の場合もおなじである。

 これに対し、加賀百万石は日和見藩だったために金沢が城下であるのに金沢県とはならず、石川という県内の小さな地名をさがし出してこれを県名とした。
~中略~
 官軍の主力はいわゆる薩長土肥だが、その肥の肥前佐賀藩などはあれほどの小地域で立派に一県なのである。
本来いまの長崎県内に入るはずだったのが、肥前出身の高官たちが、「わが藩の版図を県として残すべきだ」として佐賀藩ができた。
 権力のおかしさのひとつは、それがひどく感情的であるということである。
 ―南部藩は賊軍であった。
という好悪の感情でもって、小南部八戸の地をうむをいわせず青森県へほうりこんでしまったのである。

街道をゆく (3)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/11)
P90

街道をゆく〈3〉 (1973年)

街道をゆく〈3〉 (1973年)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
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街道をゆく (3) (朝日文芸文庫)

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  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
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「愛媛県」
 という県名は、右の太政官布告にある。県名の立案はたれかわからないが、江木(住人注;江木康直)が選び、太政官に具申し、許可されたであろうことは、前記石鉄県例によって想像がつく。
 もとが一国一藩の地で官軍についた藩地は、鹿児島、山口、佐賀、高知、徳島のように城下町の名が県名になった。加賀藩の場合、金沢藩にしてもらえず、石川郡の石川をとって県名にされた。南部藩も盛岡県にしてもらえず、巌手(いわて)郡の名をとって岩手県になった。
 県名を選ぶのは、厭味もふくめて苦心があったらしい。  この点、愛媛県は幸運だった。
 「古事記」に、イザナギ、イザナミの夫婦神が国生みをする記述がある。最初に淡路を生み、次いで四国を生んだ。四国という島については、
「身一つにして、面(おも)四つあり」
 とあり、それぞれ男女の人命が命名された。讃岐は男性で飯依比古(いひよりひこ) であり、阿波は女性で、大宜都比売(おほげつひめ)となっている。大宜(おほげ)は大食(おほげ)で、食べものが豊かな土地というイメージらしい。土佐は男性で建依別(たけよりわけ)―雄々しいひと―という名であり、伊予は愛比売(えひめ)で、文字どおりいい女という意味である。(住人注;伊豫豆比古命神社
 ずいぶん粋な言葉を県名にしたものだと思うが、おそらく松山の教養人が「古事記」を披(ひら)いて江木にみせ、その判断資料にしたのではないか。「石鉄」式の壮士気分には適(あ)わないが、しかし維新に参加した小勢力に平田国学の徒があり、かれらの間で「古事記」が「聖書」のようにあつかわれていた。その聖なる書に拠っているということで、江木が採用し、太政官は許可したのであろう。
「いい女」などという行政区の名称は、世界中にないのではないか。

街道をゆく (14)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1985/5/1)
P16

街道をゆく14

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  • 作者: 司馬遼太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2014/10/07
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