美を維持するにはお金がかかる [社会]
明治六年の暑い時期、東京の情勢が征韓論のために沸騰しはじめたころのことである。
反征韓論の立場にある大久保利通は東京の過熱した空気から脱すべく近畿地方の遊覧の旅に出かけた。
その京都滞在中、土地のものが陳情に来て、
「ご一新になってから京都の名称は荒れはてております。嵐山などはひどいもので」
と言い、なんとか金を出してもらいたい旨を懇願した。陳情者たちは旧幕時代にはこういうことはございませんでした、というのである。
大久保はこのころ欧州から帰ったばかりで、文明の政策をおこなうべく意気ごんでいた。
かれはおもに法制面から欧州諸国を見学し、法制をまねれば日本もいつかは欧州なみの文明に対することができるとおもっていたのだが、しかし、欧州諸国からその都市美や自然美の保存のためにいかに金をかけているかということまでは見て来なかった。この陳情を聞き、
(江戸幕府というのはそういう面にまで金をかけていたのか)
と内心よほど衝撃をうけ、政治とか文明とかいうものが決して単純なものではなさそうだということに気がついた。
街道をゆく (3)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/11)
P161
一乗寺
「なぜ、私は移ろい易いのですか。おお、ジュピターよ」と、美が尋ねた。
「移ろい易いものだけを美しくしたのだ」と、神は答えた。
(「四季」夏の部から))
ゲーテ格言集
ゲーテ (著), 高橋 健二 (翻訳)
新潮社; 改版 (1952/6/27)
P73
2021-07-16 08:02
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