言葉は脳を自由にも不自由にもする [言葉]
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つまり情報の有無によって、心は不自由になる。だけど、もっと不自由になっていく「からくり」があるの。それはおそらく集団からの規制の一種です。
たとえば自爆テロなんかはせんほうがいいんだけれども、彼らが信奉する教義の中で「聖戦として自爆テロをするのがいい。しないやつはだめだ」と「我らの大義に反する」というような考えが埋め込まれる。これは洗脳です。
集団の一つの考えによって、脳がある一定の方向にしか動きにくいようになってしまう。集団の拘束に使われている道具は、ほとんどが言葉です。
そして言葉を使って、集団の意志が心を拘束するときに起っているのは学習です。
一つの生命体としての、それぞれの脳が持っている限界、二つ目は脳に蓄積されている情報の量と質によって起ってくる限界です。そして三つめは、むしろ積極的に脳の自由自在性を拘束する倫理観やその他の学習で、なかでもほとんど言葉によって拘束されるようなものです。だいたいこの三つによって、心は不自由になります。
ところが、言葉こそは心がさらに自由度を得るために作ったものなんです。心が生みだしてきた最高の方法が言葉かもしれない。どうしてかと言うと、たとえば時間の概念、こういうものは言葉なしではおそらく出てこなかったでしょう。過去・現在・未来、あっち・こっち、空間・時空間を飛び回っているかのようなシュミレーション的活動が言葉によって可能となったのです。と
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あとのほうから申し上げますと、臨済宗の問答というのは、言語に束縛されているものを壊すために問答をやるんで、やはり最終的には「不立文字」に帰っていくということです。
それじゃ「不立文字」に帰っていくとどうなるかと言うと、今度は自由自在に言葉が湧き出るようになるわけですね。だから、言葉が人の心を支配するものではなくて、人の心を粗雑ながら一所懸命表現するものになる。
ちょっと粗雑な道具として、自在に心によって使われるようになることを禅は目指すんだろうと思います。
神田橋 條治 (著), 黒木 俊秀 (編集), かしま えりこ (編集)
創元社; 初版 (2013/9/3)
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