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運命を創る [人生]

 我々の存在、我々の人生というものは一つの命である。その命は、宇宙の本質たる限りなき創造変化、すなわち動いてやまざるものであるがゆえに「運命」というのであります。
「運」というのは「動く」という字であり、ダイナミックを意味します。ところが普通は、「運命」ということをそう正しく学問的に解釈しないで、きわめて通俗的にこれを誤解して、運命を我々の決まりきった人生の予定コースと解している。~中略~
そういうものは運命ではなくて「宿命」である。宿はヤドであるから泊まる、すなわち固定的・機械的な意味を持つ。
運命は運命であって、どこまでもダイナミックなものであって、決して宿命ではない、またメカニカルなものではない。 

安岡正篤
 運命を創る―人間学講話
 プレジデント社 (1985/12/10)
   P123

新装版 人物を創る (安岡正篤人間学講話)

新装版 人物を創る (安岡正篤人間学講話)

  • 作者: 安岡正篤
  • 出版社/メーカー: プレジデント社
  • 発売日: 2015/04/23
  • メディア: 単行本


 

興聖寺 (宇治市) (7).JPG興聖寺 

 

 

 

P124
 我々の命という大いなる創造変化の働きの中にある複雑きわまりない因果の関係を漢民族の学問では「数(すう)」という。数(かず)は数(すう)の一つにすぎない。よく皆さんが「数奇な運命にもてあそばれる」とか言いますが、これはそういう意味があることが分かって初めて確実にご理解ができるでしょう。
~中略~
 だから命というものは絶対的な働きであるけれども、その中には複雑きわまりない因果関係がある。その因果律を探って、それによって因果の関係を動かして新しく運命を創造変化させていく、これが「道」というものであります。
あるいは、命という字を使えばそれを「立命」という。この複雑な数を知ることは「知命」であります。命を知って、これによって我々が自分というものをリクリエートしてゆくのが立命であります。
だから、我々の運命というものは、本質的に見ればこれは絶対であり、これを主体的に考察すれば自由である。

P131
 「お前のあきらめ、お前の悟りというものはきわめて一面的であり啼泣幼稚なものである。なるほど人間には運命というものがある。しかしながら、その運命というものがいかなるものであるかは、一生かかって探求しても分かるか分からぬものである。
我々が一生学問修業して、自分の運命がいかなるものであるかということを調べてみて、初めて自分の運命というものはこういうものであるということが分かる。棺を覆うて後に定まるものである。そんな一老人の観察予言などで決まってしまうような無内容なものでは決してない。
なるほど、我々は運命というものを持っているけれども、運命というものは学問によって限りなく知らるべきものであり、修業によって限りなく創造せられるものである。
 運命は天のなすものであるとともに、また自らつくるものである。今日の言葉で言えばナンセンスになるではないか。お前の運命、すなわちお前の素質・能力・作用というものは、そんなに簡単なものなのか。それではお前はつまらぬ人間であると思わぬか」
 と言われて、彼は慢心冷汗三斗、愕然として初めて目が覚めた。雲谷禅師は、
「お前は義理再生の身―義とは今日の哲学で言えば良心の肯定する具体的実践である。理とは物の成立原理である。―すなわち、我々が思索し実践しつつ日々に想像的生活をする主体―これが義理再生の身であるが、絶えざる思索と実践によって日々に新しい創造的生活をする身となって学問修業をしてみたまえ。
そうすれば君という人間がまたどうなっていくか分からない、君の人生がどういうふうに変化していくか分からない。これを称して”立命”と言う。すなわち、今までは他律的な運命に支配され、宿命に支配されていたのであるが、今日より自由な身となって自己および人生を創造してみろ。そうしなければお前の運命なんか分かるものではない」

新装版 人物を創る (安岡正篤人間学講話)

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  • 作者: 安岡正篤
  • 出版社/メーカー: プレジデント社
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