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ムレ(牟礼) [言葉]

古いころ、この玖珠盆地の防衛は、地図で察するに、森のそばに遺跡がのこっているはずのツノムレ城が果たしたかと思える。ツノムレは、角埋(つのむれ)または角牟礼(つのむれ)と書く。
 九州には、ムレ(牟礼)という地名が多い。多くは小さな山を指す。もしくは―勝手な想像だが―山城になりやすい山を指すようにも思える。
大分県に残っている城跡あや砦跡は八十ヶ所ほどあるといわれているが、ムレのつく城跡はこのツノムレ城のほかに、国東半島の於莬牟礼城、竹田市の矢原(やばる)にある津賀牟礼(つかむれ)城、または佐伯市の西郊にある栂牟礼城(とがむれじょう)などで、共通していることはいずれも山城であることと、最初の築城が戦国以前ということである。
ムレは地理に関する古代語だと思うが、九州以外の地方でも、わずかながら例はある。
 ムレは古い時代に、朝鮮半島から移ってきた―移住者とともに―言葉だろうと私は漠然と思っていたが、念のために「時代別国語大辞典」(上代編)(三省堂刊)の「むれ」の項をひいてみると、
 山。朝鮮語に由来する語か。
 という意見をとっている。
 文献例として幾つかひいている中で「日本書紀」「斉明記」四年の、
「今城(いまき)なる乎武例(をむれ)(小丘(をむれ))が上に雲だにも著(しる)くし立たば何か嘆かむ」
 という例は、ムレが朝鮮語であることのにおいを強く持っている。
 斉明天皇の四年に、斉明の孫建王(たけるのみこ)が八つで死んだ。遺骸を今城谷(いまきのたに)(奈良県吉野郡大淀町今木)に葬った。
このとき斉明が右の引例の歌を詠んだのだが、今城は、この場合、地名である。「あらたに渡来して定着した」という意味で、地方によっては意味どおり今来と書く。
要するにイマキというのは朝鮮半島からやってきたひとびとの住む村をさす。 その村では、丘のことを、ヤマとかヲカとか言わず、ムレと言っていたことを、作者の斉明は知っていて丘のことをわざわざヲムレといったのである。

街道をゆく (8)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1995)
P151

DSC_0326 (Small).JPG朝光寺


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