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求菩提山の神々 [見仏]

もともと山の信仰とは、古い時代から山を崇拝してきており、山自体を神とした奈良の三輪山は著名である。
また日光の二荒山(ふたらさん)、九州では大宰府の宝満山がそれである。ところで、名もない地方の山ではどうなのか、など考え、これまで丹念に調査してみた。  

山伏まんだら―求菩提山(くぼてさん)修験遺跡にみる
重松 敏美(著)
日本放送出版協会; 〔カラー版〕版 (1986/11)
P25

山伏まんだら―求菩提山(くぼてさん)修験遺跡にみる (NHKブックス)

山伏まんだら―求菩提山(くぼてさん)修験遺跡にみる (NHKブックス)

  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 2020/07/15
  • メディア: 単行本


DSC_4718 (Small).JPG求菩提山

P112
 ところで、求菩提山は二所権現で、その御本地が十一面観音と薬師如来である。英彦山は三所権現で、釈迦如来、千手観音、阿弥陀如来である。そして権現である神は、この御本地が権(かり)の姿(神の姿)で現れたのが権現という神である。

P113
 ところで、山岳信仰には歴史的時間の流れがあり、実のさまざまな信仰の付随性があり、一概に特定づけがむずかしい。求菩提山の二所の権現をみると、御本地の十一面観音の垂迹神を基本的に白山の白山姫とし、また伊弉册尊としており、他の一所の御本地薬師如来の垂迹神を大己貴神とし、この神を地主神としているのであるが、伊弉諾尊も垂迹神であり、複数の神をもつ。
 ところで求菩提山信仰には、三輪神道が入り、そのことは「縁起」に「欽明天皇即位元年現大三輪神大己貴命也(オホアナムチノミコト)」とあり、また、「御嶽最初鎮座地主神明大己貴権現」とある。

P114
 英彦山は、古く、日子の山といわれ、次に彦山となって、江戸時代の中期に「英」という字があてはめられるようになって、今の英彦山の名がある。
 さて、その英彦山は、求菩提山と同じように伊弉諾尊、伊弉册尊(天神七代)の二神と、その御子の地神第一の神、天照大神の御子、日の御子(天忍骨尊 )を祀ったことから、日子の山、彦山となったことが考えられる。

P114
 豊前地方は天台寺院の展開していたところで、白山信仰の展開を多くみるところである。  求菩提山上宮棟札に、「仏法大棟梁白山妙理大権現御本地十一面観音菩薩」とある。そして薬師如来の御本地、地主神の大己貴神の二神が、求菩提山二所権現である。ところでこの白山の神は、越(えつ)の白山から勧請したとある。いうならば、三輪の神と白山の神が権現ということになる。

山伏まんだら―求菩提山(くぼてさん)修験遺跡にみる (NHKブックス)

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