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自己主張が働くかぎり、いい作品はつくれない [ものの見方、考え方]

 独断をいうようだが、陶芸家というものは自己主張が働くかぎり、いい作品はつくれない。その点、絵画や彫刻などの純粋芸術とは異っている。
中国の古陶磁は、多く無名の職人によって作られた。彼らは、一貫作業のほんの一部を荷なう。毛ほども作業意識のない宮廷奴れいにすぎなかった。彼等の作品が、今日の堂々たる作家たちの作品を、虫のように圧殺している。
 陶芸は人が創るのではなく、火が作る。火の前に己れを否定して随喜してゆく精神のみが、すぐれた陶芸品を作るのだ。もともと陶芸は、人が自己否定することによってのみなりたちうる芸術である。
人はただ随喜して火の世話をするにすぎない。人の我意が働けば働くだけ焼きあがった作品は小さく、火が縦横にふるまえばふるまうだけ、できあがった作品は自然のごとくおおきい。そこに花を挿そうが竹を置こうが、当然の機能のように調和するのである。

司馬遼太郎が考えたこと〈1〉エッセイ1953.10~1961.10
司馬遼太郎 (著)
新潮社 (2004/12/22)
P98


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