SSブログ

現代の語意で過去を判断してはいけない [言葉]

そもそも、私が言葉に関心を払うようになったきっかけは、佐藤進一先生の示唆にあります。
佐藤先生はすでに早く一九五八年二月号の「思想」の「歴史認識の方法についての覚え書」という論文(「日本中世史論集」岩波書店、一九九〇年所収)で、史料に現れる「用語の研究」の必要を強調され、たとえば中世文書にしばしば見られる「支配」という語が今日とは異なり、配分、配付、割りあて等の意味であったことや、与えるという意味の「与奪」という語や「地頭」の意義について言及されていますが、さらに先生の名著で、現在も各大学の古文書学のテキストとして用いられている「(新版)古文書学入門」(法政大学出版局、一九九七年)を読みますと、先生が古文書に現れる言葉をいかに大切に扱われているかが、実によく伝わってきます。
古文書を解読する場合、われわれはとかく現在、常識的に使用している言葉の意味をすぐに投影して理解しがちですが、本来それは歴史を正確に把握するためには、戒められるべき態度であるといわなくてはなりません。

歴史を考えるヒント
網野 善彦(著)
新潮社 (2001/01)
P11

DSC_4557 (Small).JPG求菩提山


タグ:網野 善彦
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント