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女たちの世界のエロ話 [雑学]

 女たちのこうした話は田植の時にとくに多い。田植歌の中にもセックスをうたったものがまた多かった。作物の生産と、人間の生殖を連想する風は昔からあった。
正月の初田植の行事に性的な仕草をともなうものがきわめて多いが、田植の時のエロはなしはそうした行事の残存ともみられるのである。
そして田植の時などに、その話の中心になるのは大てい元気のよい四十前後の女である。若い女たちにはいささかつよすぎるようだが話そのものは健康である。早乙女の中に若い娘のいるときは話が初夜の事になる場合が多い。
~いささかつよすぎるので、中略~
 私は毎年の田植をたのしみにしているのである。そこで話される話は去年の話のくりかえされる事もあるが、そうでない話の方が多い。
声をひそめてはなさねばならぬような事もあるが、隣合った二人でひそひそはなしていると「ひそひそ話は罪つくり」と誰かが言う。
エロ話も公然と話されるものでないとこうしたところで話されない。それだけに話そのものは健康である。そのなかには自分の体験もまじっている。
このような話は戦前も戦後もかわりなくはなされている。性の話が禁断であった時代にも農民のとくに女たちの世界ではこのような話もごく自然にはなされていた。それは田植ばかりでなく、その外の女たちだけの作業の間にもしきりなはなされる。近頃はミカンの選果場がそのよい話の場になっている。全く機智があふれており、それがまた仕事をはかどらせるようである。
 無論、性の話がここまで来るには長い歴史があった。そしてこうした話を通して男への批判力を獲得したのである。
エロな話の上手な女の多くが愛夫家であるのがおもしろい。女たちのエロばなしの明るい世界は女たちが幸福であることを意味している。
したがって女たちのすべてのエロ話がこのようにあるというのではない。
 女たちの話をきいていてエロ話がいけないのではなく、エロ話をゆがめている何ものかがいけないのだとしみじみ思うのである。

忘れられた日本人
宮本常一 (著)
岩波書店 (1984/5/16)
P128

DSC_4609 (Small).JPG求菩提山


タグ:宮本 常一
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