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龍馬脱藩の道 [雑学]

文久二(一八六二)年三月二十四日、高地城下を出奔した龍馬は翌二十五日、檮原の志士、那須俊平、信吾邸に宿泊。翌二十六日、村内の宮野々番所、松ケ峠番所を抜け、四国カルスト西端の韮ケ峠を越えて伊予国へ脱藩した。私たちは龍馬の足取りを追い、那須父子邸から旧街道を辿った。
「龍馬脱藩の道」と記された標識が所々に立てられ、無言で道案内をしてくれる。車を走らせながら「昨夜、資料を見ていると茶や谷というところで、民俗学者の宮本常一氏が「土佐源氏」の聞き取りをしているようです。地図を見てみると茶や谷には龍馬脱藩の道も通っています」と報告すると、「それは面白そうじゃないか。思わぬ発見に出くわすかもしれんぞ」と氏は目を剥いた。
「土佐源氏」は宮本常一氏の代表作「忘れられた日本人」に収録される作品で、宮本氏が戦前、檮原の老人に取材した逸話を戦後発表したものだ。


山折哲雄の新・四国遍路
山折 哲雄 (著),黒田 仁朗(同行人) (その他)
PHP研究所 (2014/7/16)
P117


山折哲雄の新・四国遍路

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  • 発売日: 2018/02/16
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四国カルスト 


 

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 後日、私は茶や谷に「D'a Pan屋(だっぱんや)のオーナー、下元秀俊さんを訪ねた。
下元さんは地域活性化を目的に坂本龍馬や檮原出身の志士を顕彰する檮原龍馬会を立ち上げ、「龍馬脱藩の道」の標識を揚げてまわった張本人であった。
聞けば「土佐源氏」のモデルとなった、山本槌造氏の玄孫(やしゃご)になたるのだそう。
 下元さんの話によると、槌造氏はその橋のたもとの自宅に暮らしていた。土地に縛られることなく牛飼いとして各地を歩き、得た知識を老後、地域に還元したようだ。槌造氏が造った水車の跡はいまも川のほとりに残っていた。






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