ジンギス・カン [雑学]
星に感じて妊娠するという伝説がある。それも、ジンギス・カンの家系伝説になる。
その感じは、包のなかに臥ていて天窓を見つめていると、わかるような気がする。似たような環境の中で成立したイエスの母マリアの神聖受胎の話も、その環境のなかにいるひとびとにとっては、あるいは、そうかもしれないという、感覚としての身の覚えのようなものが共通にあったのであろう。
日本の神話の場合も、その自然環境の上に成立している。日本では、娘が厠(かわや)へ行ったとき、丹塗(にぬり)の矢が陰(ほこ)を突いて神聖者が受胎させられた、というのがある。
日本のように山河の形象が複雑な自然環境の中にいると、せっかく神聖受胎という主題をとらえていても象徴性がすっきりゆかず、つまり丹塗の矢とか陰とかいう具象的なもののカケラを援用しなければ受胎のイメージが結像しないのかもしれない。
そこへゆくと、聖マリアの環境にあっても、このモンゴル高原においても、星空と大地という2元がくっきりしていて、想像力の象徴化がごく簡単にゆくようである。
マリアは、そのようにして受胎した。というよりも、マリアの受胎復活を、ひとびとは熱狂的にみとめた。
ジンギス・カンの家系伝説における神聖受胎も草原のひとびとの感受性によって認められていたからこそ、語り継がれていたといえる。
ジンギス・カンの遠祖にドンチャルという者がいた。妻のアラン・ゴウは、この夫とのあいだに二児をもうけたが、やがて夫に先立たれた。あるとき上の二人の子が、下の三人の弟に対し、
―お前たちは亡父(ちち)の子ではない。
と、いった。母親のアラン・ゴウはべつに狼狽もせず、五人の少年をあつめ、真実を明かす、と言い、亡父の死後、毎夜、包の天窓から光の精が入ってきて、自分の腹部にふれた、やがて受胎し、つぎつぎに子がうまれた、つまりあとの三人の子は神の子である、といった。
それだけでなく、彼女は上の子に矢を一本ずつ渡して折らせた。簡単に折れた。つぎに五本の矢の束をわたし、この束を折ってみよと命じた。むろん折れなかった。
兄弟は一人ずつなら弱い、五人で力をあわせればこのように強い、と彼女は諭すのだが、この矢の教えというのは、感想アジアの遊牧民族の社会ではありふれた説話だったらしい。おなじ話が、ジンギス・カンの少年時代にもある。その異母兄と魚のことで争ったとき、母親のウルゲンが、この話を引いて諭す。日本の戦国時代の武将である毛利元就にもこの話がある。
街道をゆく (5)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/10)
P214
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